神谷美恵子、「生きがいについて」


一月ほど前に、、ハンセン病の隔離がなぜ続いたかの検証についての報告の報道があった。
報告書はこれ。
http://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/summary_all.pdf

報告書自体は、八方不美人的に、医療も法律家も政治家もマスコミもみな責任がある、といった主旨であった。


私としては、国際的に隔離政策が非難されるようになった1960年以降、隔離施設で働いていた医師の責任に関心がいった。
彼らは直接的に、ハンセン病の方々と向き合っていたはずだからだ。
最初は、「やる気のない医師がただ、だらだらと仕事をしていたのかな」と思った。
しかし、そのあと、長島愛生園では、かの伝説的カリスマ精神科医神谷美恵子が勤務していたことを思い出した。


神谷美恵子は、ハンセン病への献身的医療で知られた精神科医である。
http://www.pcs.ne.jp/~yu/ticket/kamiya/kamiya.html

有名な言葉として、ハンセン病者に対して
「なぜ、わたしたちでなくあなたが? あなたは代わってくださったのだ」
というのがある。
そんな彼女は、長島愛生園で働いた1957年から1972年もの間、いったい何を考えていたのだろうか?


ということで、彼女の代表作、「生きがいについて」を読んでみた。
気になった箇所をメモ。


P65>愛生園のひとびとの生活をみても、独身者よりも夫婦者のほうが、たとえ互いの看病をする生活にすぎなくても、はるかに生きがいを感じているようにもみえる。これは、日々のくらしのなかで密接に反響しあえる相手があるからであろう。ところがらいに女子はかかりにくいため、どこのらい園にも女子の数が少ない。これも男子患者にとっては大きな不幸の一つである。


P139>いずれにしても自分に課せられた苦悩をたえしのぶことによって、そのなかから何ごとか自分の生にとってプラスになるものをつかみ得たならば、それはまったく独自な体験で、いわば自己の創造といえる。


P173>らいのひとにかぎらず、ひとたびこの世からはじき出されたひとは、はじき出された先でどこへ行こうとも、この世に対しては一種の亡霊的存在である。


P205(ヘレンケラーについて)>もし彼女が五感そろったひとであったならば、彼女の精神の世界はあれほどのひろがりと深さをそなえるに至らなかったのではなかろうか。


P210>ある程度の物質的窮乏が、かえって「精神化」を促進する傾向のあることもやはりみとめなくてはならない。


P222>失明してもなお、あるいは失明したからこそなお一層ひとすじに、楽団演奏、作詩、作歌、作句その他に打ちこんでいるひとびとがある。


P230>この頃のらい療養所には問題が多く、権利の主張と利害得失の計算、そのための闘争のみにあけくれているようにみえる面もある。権利や金の保障さえもらえれば人情など要らない、という患者さえもある。しかし、園にはいりこんで、患者たちの毎日の生活に接してみれば、右のようなあらあらしい、たけだけしいひとはめだちはするが、じつは少数にすぎないことがわかる。


P279>このような、底知れぬむなしさは、しかし、らいにかかって島にとじこめられているひとに限ったことであろうか。否、ほんとうは、人生そのものに内在しているものである。


引用以上。
全体の要約としては
「人間の生きがいは、ハンセン病のような苦悩を背負ってこそ、深まる。」
といったところのようだ。
逆に、苦悩自体の軽減や、隔離の撤廃という現実的問題には関心が無い、あるいは批判的印象すら受ける。


個人的感想としては、人間は立派な生きがいを持つことも大事かもしれないが、苦悩は少ないに越したことはなく、もっと通俗的な幸せというものにも価値があると思う。


また、神谷氏の動機は、宗教者的な「弱者に奉仕がしたい」というもののようだが、それが精神科医としての視野を狭くしているようにも感じた。


いずれにせよ、善意からの行為でも、歴史的に振り返ると、それが必ずしも善とは言い切れないところが人の世の難しいところである。


あと、本筋とは関係ないが、子供二人の名前が「徹」と「律」というのも、彼女の生真面目さというか、徹底性が出ていてある意味すごい。


生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)