性同一性障害者の家族への面接

精神療法 第37巻第6号
特集 家族・夫婦面接をもつことの意義―日常臨床から
http://kongoshuppan.co.jp/seiryo/seiryo.html
P715-717
性同一性障害者の家族への面接:針間克己


性同一性障害者の家族への面接
針間克己


はじめに
性同一性障害は、心理的・社会的なインパクトが強く、当事者のみでなく、その家族にも大きな影響を与える。家族の反応はさまざまであるが、否定的な反応の場合、性同一性障害を抱える当事者の苦悩はより深いものとなる。それゆえ、家族への面接は、家族そのもののためであると同時に当事者のため、と二重の意味を持つ。家族としては、両親、配偶者、子供、兄弟姉妹などがあるが、本稿では、配偶者、子供、兄弟姉妹に関しては簡潔に述べ、主とて両親への面接について記す。
 

? 配偶者・子ども・兄弟姉妹への面接
1. 配偶者への面接
筆者の調べでは、MTF(男性から女性に性別移行するもの)の10.3%に受診時に配偶者がいて、8.6%に離婚歴がある。FTM(女性から男性に性別移行するもの)では、0.7%に配偶者がいて、2.4%に離婚歴がある。FTMの夫への面接経験はないが、MTFの妻への面接はよく経験するところである。面接に来院する妻は、夫の性同一性障害に対しては、強く否定的な態度であるものは少ない。否定的なものは来院することなく、離婚へと進むと思われる。ただ来院するものも、全面的に理解がある場合だけでなく、理解と否定的感情の葛藤状態にあるものもいる。つまり、配偶者として夫の性同一性障害を理解し支えていこうという気持ちがある一方で、夫が女性化していくということに異性愛者の妻は拒否感を同時に持つことになる。また、夫が女性化していくことが、妻の女性異性愛者としてのアイデンティティに混乱をもたらすこともある。面接にあたっては、妻の苦悩を傾聴し、医学的事実を伝えはするが、今後の夫婦関係をどうしていくかに関しては、意見は述べないようにしている。婚姻の継続か離婚かという選択は、夫婦にゆだねるべきだという思いからである。

2.子供への面接
筆者の調べでは、MTFの12.6%、FTMの1.4%に子供がいる。未成年の子供がいて、性別を移行する身体治療を望む場合には、子供にも直接会って話を聞くようにしている。受診の前に親子で十分に話し合われていることが多く、子供との面接時に子供から親の性別移行への反対や不安が述べられることはまれである。

3.兄弟姉妹への面接
兄弟姉妹に対しては、特に面接を行っていない。兄弟姉妹は比較的理解があることが多い。十分な理解が得られない場合も、心理的な距離を持ち、積極的には関与してこない場合が多い。


? 両親への面接
両親は、その子供である当事者の年齢や症状、両親自身の価値観などにより、さまざまな反応を示す。その反応の代表例のいくとかを記し、その面接時の留意点を述べる。
1. 幼少の性同一性障害類似行動への過剰な反応
 近年、性同一性障害が世間に広く知られるようになった結果、幼少児のちょっとした非典型的な性別行動を「性同一性障害では」と親が受診させるケースがある。たとえば、化粧をしたがる男の子や、男ことばを使う女の子などだ。この場合、幼少期は、典型的ではないさまざまな性別行動をとることはまれではないことを伝える。また、子供の性同一性障害の診断基準を満たす者においても、大人になっても、そのまま性同一性障害となる者はそれほど多くないことを伝える。その上で過剰に反応することなく、子供の成長を見守っていくように話をする。
2. 性別移行や治療を両親が先回りしてお膳立てしようとする
小学校高学年や、中学生の子供から性同一性障害だとカムアウト(告白)された場合に、理解のある親は、子供を支援しようと、子供の意思を飛び越えて、性別移行や治療を先回りしてお膳立てしようとする場合がある。すなわち、両親が学校と交渉し、制服や性別の扱いの変更を求めたり、医療機関を受診させたりする。子供本人が望んでいる場合には、そういった対応でもよいが、子供本人が望んでいない場合もある。つまり性別違和はあっても、ジェンダーアイデンティティは十分に固まってはおらず、特に制服の変更など周囲から注目を集めるようなことは望んでない場合だ。このような場合、先走った親の行動は、子供の苦悩を増やす結果となったり、試行錯誤や熟考の中で、アイデンティティが成長していく機会を奪うことにもなりかねない。面接時、親の先走りの危惧を感じたならば、まずは子供の考えを十分に理解し尊重できるように、親子でじっくり話し合いをするように促していく。
3. 自分のせいで子供が性同一性障害になったと自分を責める
特に母親は、子供の性同一性障害を自分のせいだと感じ自分を責めることがある。性同一性障害原因論には、先天的な原因論と後天的な原因論があるが、そのいずれにしても、母親は自分を責めることになる。すなわち、先天的な原因と考えれば、「性同一性障害のある子供を産んでしまった」と、自分を責める。あるいは後天的な原因と考えれば、「自分の育て方が悪かったので子供が性同一性障害になった」と、自分を責める。その対処としては、性同一性障害原因論について質問されたら丁寧に説明することが必要である。まず、100%の先天的原因ないしは後天的原因というものはなく、性同一性障害ジェンダーアイデンティティ形成は先天的要因と後天的要因が絡み合っていると想定されていること。また先天的要因といっても、妊娠中の病気や服薬といった、明確なものではないこと。後天的要因といっても、親の養育だけでなく、社会環境、友人との人間関係など様々な要因が絡むことなどを説明する。また、そもそも子供の性同一性障害に対し、不幸な障害であると全面的にネガティブなものとして捉えるのではなく、多様なセクシュアリティのひとつとして捉える視点もあることを伝えるようにしている。
4. 子供は性同一性障害ではないと否定する
性同一性障害という診断に対して、「自分の子供は、こういった男(女)らしいところがあるので、性同一性障害ではない」と、否定する親もいる。現在の子供の状態から、否定する理由を挙げる場合もあれば、過去の生育歴上のエピソードあげて、否定する場合もある。子供本人だけから話を聞き診断した場合、その後に親から診断を疑わせるエピソードがもたらされる、ということは確かにある。例えば、FTMが「子供のころからずっと男子とサッカーや野球をして遊んでいた」と話していても、親が「ままごと遊びもよくしていた」と述べたりする。このようにならないためにも、確定診断を出す前に、親との面接を行い、生育歴の情報を聞いておくことが望ましい。その上で、疑問に思えることは、本人に詳しく聞くようにする。また一方の親の見方と、もう一方の親の見方が異なることがある。たとえば、父親が診断を否定的にとらえていても、母親は「自分は前からそうではないかと思っていた」と述べたりする。それゆえ、診断を否定する親がいる場合には、本人やほかの家族のメンバーもまじえ、話し合うようにする。また、診断においては、たとえ、過去において非典型的なエピソードがあったとしても、現在継続的に性別違和があれば、性同一性障害と診断されることを説明する。しかし、それでも子供が性同一性障害であることを受け入れられない場合もある。そういった場合には、ほかの精神科医の意見を聞きに行くことや、時間の経過の中で受け入れられることを待つことが必要である。
5. 自分の子供を失うような喪失感を持つ
 子供が性同一性障害であることを知ると、その子供を失ったような喪失感を抱く者もいる。男の子として、あるいは女の子として育てた過去の思い出が否定され、結婚して子供を産んでくれるというこれまでの夢を打ち消されたと感じるのである。実際には、子供は失われることなく、今後も生き続けるわけであるし、これまでの思い出が失われるわけでもない。戸籍を変更し結婚する者もいる。自己のジェンダーアイデンティティに沿って生きることは、子供が本来の自分らしさを取り戻すことであり、より幸せになるための、新たな成長と見ることもできることだ。こういったことを面接で説明もするが、医師が一方的に伝えるよりも、親子の会話を促す中で、子供の言葉を通じて、親が理解していくことが、いっそう望ましい。
6. 身体治療や性別移行に対して強い不安を持つ
子供が性同一性障害であることに理解を持つ親であっても、ホルモン療法や外科的手術といった身体治療や、性別移行に関しては、強い不安を持つ場合がある。身体治療は、一定のリスクはあるが、インターネット等での不正確な情報により過剰に危険視している場合もある。たとえば、「ホルモン療法をやっているFTMの寿命は40歳」という全く医学的根拠のない情報がインターネット上で広く流布したりしているからである。その対応は、当然ながら医学的に正確な情報を伝えるということであるが、精神科医としては限度もあるので、身体治療を担当する医師より十分な説明を受けるように促している。
性別移行への不安は「性別を変えたら、仕事がなくなり生活ができなくなるのでは 」などといったものである。実際には、就労に困難を抱える場合もあるが、望みの性別で働いてる人も多くいることを伝えている。また、身体治療に当たっては、RLE(real life experience)といって、望みの性別で一定期間、生活をして、適応してやっていけることを確認したのちに、実際の治療に進むことを説明している。
7. 精神科医に対して怒りをぶつける
子供が、性同一性障害であることや、身体治療を望んでいることは、親の内面に様々な感情をもたらす。その感情への反応として、怒りが現れることがある。その怒りは、子供に直接向けられることもあれば、社会に向けられることもある。また、子供の主治医の精神科医に向けられることもある。「性同一性障害と診断するからその気になったのだ」「自分は親なのだから子供のことは自分のほうが詳しく知っている」「話を聞いただけで、どうして診断できる」「精神科医なら、なぜ心のほうを治そうとしない」などと述べ、精神科医に怒りをぶつける。疑問に対しては説明するが、了解されることなく、議論が平行線をたどることも多い。筆者は、子供のことを心配する親の心情に焦点を絞るようにし、まずは、子供の苦悩の軽減をはかるという目標が共有できるように努めている。実際には、一回の面接で怒りが落ち着くとは限らず、子供との話し合いや、時間の経過、他の精神科医の受診などを通じて、徐々に落ち着いていく場合もある。

 
おわりに
両親への対応を中心に、性同一性障害の家族面接について述べた。これまで語られることの少なかった問題だが、性同一性障害の家族は、本人と同様、ときには本人以上の苦悩を有する。面接に当たっては、その家族の思いを真摯に受け止めていくことが、肝要なことだと思われる。