「性同一性障害特例法と戸籍変更者の臨床的特徴」

針間克己:性同一性障害特例法と戸籍変更者の臨床的特徴.精神科9巻3号:246-250,2006
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性同一性障害特例法と戸籍変更者の臨床的特徴
針間克己


はじめに
2003年7月16日、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下「特例法」と記す)が公布され1年後の2004年7月16日に施行された。その後2005年12月末までに326名の性同一性障害者が戸籍の性別変更を家庭裁判所で許可された。本稿では、特例法制定までの概略と、医師の留意すべき具体的内容、及び筆者の作成した診断書に基づき、特例法に関係する戸籍変更者の臨床的特徴について論じる。なお、法律文の解釈にあたっては、「【解説】性同一性障害者性別取扱特例法」1)を全面的に参照した。

 
特例法施行までの流れ
 性同一性障害を有するものは、医学的な身体の性別変更だけでなく、戸籍上の性別の訂正ないし変更も望むことがある。たとえば、戸籍に「長男」と記載されている場合に、「長女」などに訂正し、社会制度上でも、自分の心の性別で暮らしたいと望むのである。
 このような性別の訂正は、欧米諸国の多くでは、出生登録書における性別記載の訂正という形で、立法的に、あるいは行政手続き的にすでに認められている2)3)。また、日本と同様の戸籍制度のある台湾、韓国でも認められている。
 日本では性別の訂正は、家庭裁判所に申し立てられ審判される。過去数例が認められているが、最近の多くの例では認められていず、また高等裁判所での判決でも認められていなく、性別の訂正は困難であった。
 このように、司法での解決が困難であったため、立法での解決が望まれることとなった。そのような中、2000年9月に南野知惠子参議院議員自民党内に「性同一性障害勉強会」を発足させた。これは、2000年8月に神戸で開催されたアジア性科学会におけるシンポジウム「性転換の法と医学」に、助産師でもある南野議員も出席し、筆者やシンポジストの医師、法律学者等に呼びかける形で発足した勉強会であった。
 その後、2002年になると、性同一性障害の人権問題に対する世論の盛り上がりを受け、同様の勉強会が民主党公明党でも行われるようになった。2003年春には、性同一性障害の戸籍変更に関する立法を目的とした与党プロジェクトチームが発足した。そのチームによって出された法案に、野党もおおむね賛同する形で、2003年7月10日に、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が成立し、2003年7月16日に公布された。その後1年の準備期間を経て、2004年7月16日に実施された。


特例法の具体的内容
 法律の全文は、表1に示した。このうちのいくつかの文言に関して、説明する。
 まず、性同一性障害者の定義に、「生物学的には性別が明らかである」とある。ここで問題になるのは、インターセックスとの関連である。医学的には、インターセックス性同一性障害からは鑑別され、法的には戸籍法113条による戸籍訂正が認められている。しかし、インターセックスでも身体的性別特徴によっては、戸籍訂正が認められない場合もある。すると、ケースによっては戸籍法113条による訂正も特例法による変更も認められないことになりかねない。そのようなことも鑑み、特例法による「生物学的には性別が明らかである」とは必ずしもインターセックスを除外するものではない。たとえば、クラインフェルター症候群などで、身体的には男性という性別が明らかな場合などは対象になる。
次に、性同一性障害者の定義に、「自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者」との文言がある。ここで、「意思」という言葉を用いているので、法的な判断力があるものに限定していることを示していると思われる。すなわち、統合失調症認知症等で、判断能力が十分にはないものは、対象からはずされている。
 また、「診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致している者をいう」は、日本精神神経学会の「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン(第2版)」4)(以下「ガイドライン」と記す)で示される治療指針に対応したものと思われる。ただし、過去海外等で精神科医の関与なく性別適合手術を行ったものでも、その後2名の医師により、診断が合致すれば法適用の対象となる。また、「必要な知識及び経験を有する」がどの程度のものであるかは、明確には示されていない。たとえば、性同一性障害の症例何例以上だとか、ジェンダークリニックや何らかの学会に所属している、といった明確化しうる基準はない。実務上は書かれた診断書の内容から、その医師が「必要な知識及び経験を有する」か否かを裁判官が判断することになる。なお、「医師」とは、日本国の医師資格を有するものを指し、かつ専門が精神科であるものだと解釈される。
 第三条では、審判請求に該当するための要件が示されている。「一 二十歳以上であること」というのは、成人であることに加えて、ガイドラインでは、二十歳以上のものが性別適合手術の対象になっていることに対応している。「二 現に婚姻をしていないこと」というのは、もし婚姻したまま、一方の性別が変更された場合には同性婚になるため、設けられた要件と思われる。「三 現に子がいないこと」は、たとえば、父が女性になる、母が男性になる、ということがおきないように設けられている。なお、子供はいないが孫がいる、という場合には要件に該当する。「四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」は、特に女性から男性に性別を移行するものにおいて、性別適合手術で卵巣を摘出した場合だけでなく、他の疾患等で機能を欠いている場合は、摘出していなくても要件を満たす。「五  その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」とは分かりにくい日本語であるが、外性器が変更する性別の外観にある程度、類似しているということである。
なお、戸籍の性別記載の変更は、「次男」を「次女」、「三女」を「三男」と、単純に性同一性障害者本人の「男」、「女」の部分だけが書き換えられ、他の兄弟は影響を受けない。そのため、たとえば、長女、女性から男性への性同一性障害者、長男、という兄弟がいたとすると、長女、「次女」から「次男」に変更、長男となる。すなわち、兄がいなくても、弟が年下であっても、性別表記は「次男」となるのである。


戸籍変更者の臨床的特徴
筆者が最高裁判所総務局情報政策課に問い合わせたところ、特例法が施行された平成16年7月16日から平成17年12月31日までの性別の取扱いの変更申立事件数の速報値とその内容は以下の通りである。
 新受 373、既済 342、認容 326、却下4、取下12、その他 0。

最高裁判所の発表は、上記した物以上の詳細な情報は発表していない。そこで筆者が実際に診断書を作成したものたちの特例法に関連する臨床的特徴の統計を以下に記すことにする。
なお、以下においてFTMとは女性から男性に変更するもの、MTFとは男性から女性に変更するものを意味する。
筆者は2006年7月31日までに61名(FTM19名、MTF42名)の性同一性障害者の戸籍変更のための診断書を作成している。そのうちの47名(FTM16名、MTF31名)から、裁判所における審判結果の報告を得た。報告のない14名は現在審判中のもの、まだ申立していないもの、審判結果はでたが報告していないものなどと思われる。報告された内訳は、MTF1名は却下、ほか46名(FTM16名、MTF30名)全員が許可例であった。却下された1名は、子どもを有するもので、特例法の戸籍変更要件を満たさないものであった。以下は許可例46名についての臨床統計を記す。
1)年齢
FTM:平均年齢32.4歳、最少年齢20歳、最高年齢53歳。20歳代4名、30歳代10名、40歳代1名、50歳代1名。
MTF:平均年齢32.8歳、最少年齢23歳、最高年齢45歳。20歳代7名、30歳代19名、40歳代4名。
2)性別適合手術前の精神科医受診
FTM:2名以上の精神科医受診16名。
MTF精神科医受診なし5名、1名の精神科医受診7名、2名以上の精神科医受診18名。
3)手術実施医療機関
FTM:国内のジェンダークリニック7名、国内のジェンダークリニック以外の医療機関2名、タイ5名、台湾1名、アメリカ1名。
MTF: 国内のジェンダークリニック2名、国内のジェンダークリニック以外の医療機関4名、タイ21名、シンガポール2名、アメリカ1名。
4)FTMの手術内容
子宮卵巣摘出術のみ7名、子宮卵巣摘出術・尿道延長術・陰核陰茎形成術8名、子宮卵巣摘出術・陰茎形成術1名。


考察
まず最高裁判所による速報値を考察する。却下4例は、新聞報道や筆者の経験からは、子どもを有するものが却下を承知で問題提起の意味で申立したものたちなどと思われる。取下12例は、申立人や診断書を作成した医師が、必要な書類や要件を理解しないまま申立てたものの、書類や要件の不備を指摘され、取下げたものと思われる。
また日本では約1年半の間に326名の性別変更が許可されているが、英国、ドイツのデータと比較する。英国では2005年にgender recognition act(性別承認法)が試行され、1年間で896名が性別変更を許可された5)。ドイツでは1981年から1990年の10年間の間に733件の申立があった(10.9%が却下)6)。比較を容易にするため、1年間における人口1000万あたりの許可数に換算し記す。日本:17名、英国:152名、ドイツ:8名。日本、ドイツと比較し、英国の性別変更数が多いのは、日本とドイツが性別適合手術を変更の要件に含むのに対し、英国では性別適合手術を要件として含んでいないためと思われる。
次に筆者の臨床統計の結果について考察する。
年齢平均は、FTMMTFで有意差はなかった。精神科初診時の年齢は、FTMMTFより若い傾向にあることが知られている7)。戸籍変更者では年齢差が出なかったことは、FTMは精神科受診から実際に手術にいたるまでにMTFより長い期間を要することが理由として考えられる。
ガイドラインでは、性別適合手術の実施に当たっては、手術前に2名の精神科医による診断、精神的サポートと新しい生活スタイルの検討、意見書の作成が求められている。一方、特例法においては、戸籍変更においては医師2名による診断は必要とされるが、必ずしも手術前の診断を要求するものではない。そのためMTFにおいては、精神科受診歴がないまま手術を受け、術後に戸籍変更のために、初めて精神科医の診断を求めてくるものもいた。また、精神科医に受診していても、精神科医が時期尚早あるいは手術が不適当と判断する場合にも、自己判断で手術を受けたケースもあった。
性別適合手術を受ける医療機関はさまざまである。FTMでは半数近い7名が国内のジェンダークリニックで手術を受けているが、MTFでは、国内のジェンダークリニックで手術を受けたものは2名と少なく、21名はタイのいくつかの医療機関で手術を受けていた。タイの医療機関で手術を受けるものが多い理由として、性別適合手術の経験が豊富で治療技術への信頼があること、費用が日本と比べて安価なこと、手術までの待ち期間が日本と比べて短期間ですむこと、などが考えられる。
FTMにおける性別適合手術の内容はさまざまであるが、子宮卵巣摘出術のみでの許可例も7名であった。これは卵巣摘出により、「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」の要件を満たし、ホルモン療法で陰核が矮小陰茎様の外観を呈することにより、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」を満たすと判断されることによると思われる。


おわりに
特例法について概略した後、筆者自身が作成した診断書により性別変更が許可された性同一性障害者たちの臨床的特徴を法律要件に関わる部分を中心に記した。本論文の示したとおり、特例法の運用に当たっては、ガイドラインに不一致な治療経過や海外で手術をうけたものなども、特に問題なく性別変更は許可されている。このことが、ガイドラインや治療システムの形骸化をもたらすことがないように、わが国におけるいっそうの性同一性障害治療の発展を望みたい。


文献
1)南野知恵子.【解説】性同一性障害者性別取扱特例法.東京:日本加除出版;2004.
2)針間克己.性同一性障害者の抱える法的問題.性同一性障害の基礎と臨床.東京:新興医学出版社;2001.p.123
3)大島俊之.性同一性障害と法.東京:日本評論社;2002
4) 日本精神神経学会性同一性障害に関する第二次特別委員会」.性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン(第2版).精神神経学雑誌 2002;104:618
5)http://www.parliament.the-stationery-office.co.uk/pa/cm200506/cmhansrd/cm051219/text/51219w73.htm
6)Weitze C. Transsexualism in Germany: empirical data on epidemiology and application of the German Transsexuals' Act during its first ten years. Arch Sex Behav. 1996;25(4):409.
7) Harima K, Abe T. GENDER IDENTITY DISORDER IN JAPAN: A CLINICAL SURVEY OF 194 OUTPATIENTS [abstract]. 14th World Congress of Sexology 1999:Aug23-28;Hong Kong,China