セクシュアリティとこころの問題

セクシュアリティとこころの問題 はりまメンタルクリニック 針間克己 精神科第15巻第2号122-126P,2009
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セクシュアリティとこころの問題

はりまメンタルクリニック 針間克己
はじめに
セクシュアリティ」とは、性的なことがらを包括的に示す概念である。1)いっぽう、「こころ」とは何かも深遠なる謎である。それゆえ、「セクシュアリティ」と「こころ」の問題について論じることは、非常に広範かつ多岐にわたり、明確に行うには困難な作業となるであろう。そこで本稿では、「セクシュアリティ」については、そのいくつかの構成要素に分けることとし、「こころ」については主に精神医学的立場から、精神疾患との関連や臨床上の経験に留意することで、「セクシュアリティとこころの問題」について論じていくことにする。
1. 性機能とこころ
性機能は、セクシュアリティの中でも身体とこころが互いに影響をおよぼしながら、表裏一体となり進んでいく反応である。性反応は「欲求」「興奮」「オルガズム」「解消」と進んでいく。この性反応に障害が生じると、性反応不全と診断される。性的な事柄やパートナー関係に不安や恐怖といったネガティブな感情を抱いていたり、抑うつなどの精神状態の場合、欲求や興奮やオルガズムは障害され、勃起や射精、膣の湿潤や拡張といった身体的反応が阻害される。あるいは逆に、神経や血管やホルモンなどの異常により、性器に身体的問題が生じ、性反応が適切に起きない場合、性行為への不安や嫌悪を抱いたり、自尊感情が低下したりといった、ネガティブな心理的影響を与えうる。それゆえに、性機能不全の診断、治療にあたっては、身体的、心理的両面からのアプローチが必要となる。
2. 身体的性別とこころ
身体的性別とは、性染色体、ホルモン、内性器、外性器などによる、男女の違いである。その身体的性別が典型的でない状態が、インターセックスである。インターセックス心理的側面は、あまり論じられることは少ないが、身体的性別の状態がマイノリティゆえに、自尊感情の低下、疎外感、抑うつ不安といった、ネガティブな感情を抱きうる。
また、身体的性別が非典型ゆえに、あるいは性ホルモンによる脳への直接的作用により、こころの性別とでも言うべき、ジェンダーアイデンティティの揺らぎを持つ者もいる。本稿でも後述する、性同一性障害は、近年日本でも理解が進んでいるが、インターセックスジェンダーアイデンティティの問題については、議論されることは乏しい。しかし、この問題は、実際の臨床上では、時々経験するところである。男性から女性への性別移行を望む/行った、クラインフェルター症候群(性染色体が47XXY)の人、レズビアン女性と自己認識しながらも女性としての自己に違和が続く、ターナー症候群(性染色体が45X0)の人、性染色体は46XXだが、副腎腫瘍により男性ホルモンが過剰分泌され、男性としてのジェンダーアイデンティティを持つもの、などを筆者は経験している。
またインターセックスとは異なるが、手術などにより身体的性別に変化が生じた場合も、心理的な影響を与えうる。2)たとえば、乳がん患者において、乳房切除した場合、「乳房がなくなった自分はもう女性ではない」などのように、自己の性別イメージが変容することがある。そのため、乳房や外性器の治療においては、身体的影響だけなく、心理的影響も考慮して治療方法が選択されることが望ましい。
3. 性指向とこころ
性指向とはsexual orientationの訳語であり、どの性別に性的魅力を感じるかということである。異性に魅力を感じる異性愛heterosexual、同性に魅力を感じる同性愛homosexual、両性に魅力を感じるbisexual、両性どちらにも魅力を感じないasexualに分類される。
同性愛は、今日の精神医学では精神疾患とはみなされないが、精神疾患のリストから外れた歴史的経緯を知ることは、今日の精神疾患概念あるいはセクシュアリティの「正常」と「異常」の境界を理解するうえで有用である。3)
歴史的には、西洋/キリスト教社会では、同性愛は、異端者ないしは犯罪者としてみなされてきた。19世紀後半にはいると、司法精神医学者のクラフト・エビングらにより、同性愛を精神疾患とみなす考えが出てきた。そこでの基本的考えは、生殖につながらない性行為を異常とみなすものであった。この考えに基づき、同性愛を異性愛に変えようとする、さまざまな「治療」が行われた。あるいは、第二次大戦中は、ナチスにより同性愛は「精神異常者」として、ユダヤ人らとともに、虐待、惨殺されることとなる。しかし、1960年代に入り、キンゼイレポートなどの性行動調査により、少なくないものが同性愛行為を行った経験があることが明らかにされたり、異性愛者間でも、生殖目的で性交を行われることは少ないことが指摘されるようになった。
そんな中、アメリカを中心に、ゲイ・レズビアンの人権運動の高まりがおこり、米国精神医学会に対し、DSM-Ⅱ (精神障害のための診断と統計の手引き,第2版)4)からの、同性愛の削除要求が高まる。米国精神医学会の中で、同性愛を精神疾患リストから削除するかどうかで意見は二分され、その結果、一種の妥協案として1980年のDSM-Ⅲ5)では、「ego-dystonic homosexuality 自我不親和性同性愛」として、疾患リストに残る。そこでは、同性愛であるだけでなく、同性愛であることへの「自我不親和性」、すなわち「基準B :同性愛的興奮の持続したパターンがあり、患者ははっきりとそのことが嫌で、持続的な苦悩の源泉であったと述べる」、ということをもって、精神疾患とみなした。結局、1987年のDSM-Ⅲ-R6)では、この自我不親和性同性愛は、削除されるのだが、「そのことに苦悩していることをもって、精神疾患とする」という考え方は、生き残ることになる。すなわち、今日のDSM-Ⅳ-TR7)において、多くの精神疾患に、診断基準として「臨床的に著しい苦痛または、社会的職業的、または他の重要な分野における機能の障害を引き起こしている」という一文が掲げられているのである。
 その後、同性愛は米国精神医学会によるDSMのみならず、1992年、WHO(世界保健機構)による国際疾病分類改訂第10版(ICD-10)8)からも削除され、WHOは「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とならない」と宣言した。こういった経緯を経て、現在、同性愛は、日本においても精神疾患とはみなされていない。しかしながら、ゲイ(男性同性愛者)、レズビアン(女性同性愛者)の心理的問題がすべて解決したかというと必ずしもそうではない。現代日本の中でも、ゲイ・レズビアンであることより心理的苦悩を抱える者は少なからず存在する。親から結婚はまだかと迫られるが、自分がゲイであることを告白できなく悩んでいるもの、自分がゲイであることを自分自身が許容できなくて悩んでいるもの、レズビアンであるが、好きになる女性は異性愛者なので、パートナーができずに悩んでいるもの、レズビアンであることを隠して結婚し子供も産んだが、夫との夫婦生活に耐え切れず、今後の人生に悩んでいるもの、などが実際に筆者のクリニックに来院している。
 こういったゲイ・レズビアンの人たちの苦悩を軽減するには、単に精神疾患のリストからはずしただけでなく、今後は、社会及び個々人が、多様なセクシュアリティのひとつとして、より前向きにゲイ・レズビアンを理解していくことが必要だと思われる。
4. 性嗜好とこころ
性嗜好とは性的興奮を得るために、どのような行動や空想を欲するかということである。
通常は同意を得た年齢相応のパートナーとの抱擁や性交などにより、興奮することが多いが、その他のもので興奮する者もいる。下着などの物品、のぞきや露出、SM(サディズムマゾヒズム)、痴漢や幼児が対象のものなどだ。こういった者たちの性嗜好を、何をもって精神疾患とするかは、ある意味において今日のセクシュアリティの「正常」と「異常」を分かつ最前線を示していると言える。
1994年のDSM-IV9)では、性嗜好の異常の精神疾患である、性嗜好異常の診断基準のひとつとして、「その空想、性的衝動、または行動が臨床的に著しい苦痛または、社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている」というものが、あげられている。「3.性指向とこころ」で説明したように、この基準は同性愛をめぐる議論から生まれたものである。この基準により、たとえば趣味として女装を楽しんでいる人などは、精神疾患の基準は満たさないことになる。
ところが、2000年に出されたDSM-Ⅳ-TRでは、性嗜好異常の一部は診断基準が変更された。(DSM-Ⅳ-TR全体としては、本来DSM-Ⅳからの診断基準変更は行われないはずにもかかわらずである。)すなわち、小児性愛、窃視症、窃触症、露出症、性的サディズムにおいては、診断基準Bは、「その人が性的衝動を行動に移している。またはその性的衝動や空想のために、著しい苦痛または対人関係上の困難が生じている」という診断基準に変更された。これらの性嗜好は、行動に移せば、性犯罪とみなされるものであるからである。つまり、以前のDSM-Ⅳの診断基準だと、たとえ性犯罪を起こしても、本人がそのことに苦悩を持たず、社会的、職業的な機能の障害を起こしていなければ、性嗜好異常とはみなされないことへの批判10)から、性犯罪を行えば、性嗜好異常とみなすように、変更が行われたのである。
すなわち、性嗜好異常においては「多様なセクシュアリティの尊重」という考えと、「性犯罪・性暴力を異常とみなす」という二つの考えが、そこに並立しているのである。
性嗜好異常を抱える者が、治療を望む場合、その受診動機はいくつかのものがある。まず、のぞき、痴漢、下着泥棒、盗撮、露出などの行為により、性犯罪の加害者となった場合がある。自ら再犯しないために来る者もいれば、家族や弁護士の勧めで来ることもある。弁護士の勧めの場合、裁判中で減刑ねらいのこともある。性嗜好異常が夫婦間の問題となり受診する者もいる。妻が夫との離婚を望んでいる場合、どう結婚生活をするか悩んでいる場合、別の夫婦問題も隠れている場合などがある。また、性嗜好異常があるため、通常の性交が困難となり受診する者もいる。性機能不全が合併している場合もあれば、当人の性嗜好を満たせば、性交が可能な場合もある。受診者への対応としては、性犯罪につながる行動の可能性があるときは、精神療法の一般的な原則である「中立を保つ」という立場とは異なり、「それはいけないことだ」ということを明確にしてかかわる必要がある。女装など、性犯罪につながらない性嗜好に関しては、多様なセクシュアリティを尊重しつつ、問題解決を探っていくという関わりになる。
5. ジェンダーアイデンティティとこころ
ジェンダーアイデンティティ(gender identity)とは、性別の自己認識のことである。多くの場合、ジェンダーアイデンティティは、身体的性別と一致するが、一致しない者もいる。「体は男性だが、心は女性」のように、身体的性別とは反対の性別にジェンダーアイデンティティを有し、そのことに苦悩している場合、性同一性障害となる。11)
性同一性障害は、我が国では長らくタブー視され、医学的関与もほとんどなされていなかったが、1998年に埼玉医科大学性別適合手術(いわゆる性転換手術)が行われて以降、状況は大きく変化した。複数の大学病院で性同一性障害治療のためにジェンダー・クリニックが設立され、民間でも、精神科クリニックや形成外科などで治療が取り組まれるようになった。主要な医療機関を受診したものは、これまでで延べ7000人を超えている。また医学的進展だけでなく、2003年には、性同一性障害者の戸籍の変更を可能とする「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(以下「特例法」と略す)」も制定された。12)この特例法により、戸籍変更をしたものは、2008年末までに、1263名である。さらには、性同一性障害者であることを公表した政治家や芸能人の活躍もあり、世間的にも広く認知されるようになった。
このように性同一性障害をめぐる医学的、法律的、社会的状況は著しく変化した。しかし、一方でその理解は、ややもすればステレオタイプなものであるかのようにも感じる。すなわち、ジェンダーアイデンティティに悩むもの、つまり性別違和があるものが、すべて性同一性障害者であり、そのすべてが、ホルモン療法や性別適合手術を望み、そうすることが唯一の解決策であることのような理解である。しかし、性別違和を抱える者の悩みの程度や種類は様々であり、性同一性障害の診断基準を満たす者も満たさない者もいる。たとえ、性同一性障害と診断されたとしても、ホルモン療法や性別適合手術に進むことが解決策にならない者もいる。
筆者は2008年4月にメンタルクリニックを開院したが、性別違和を主訴に受診したものは、これまでにすでに1000名を超える。しかし、個々にその訴える内容を詳しく見ていった場合、実に様々なものがある。
女性のシンボルとしての乳房があるので嫌で、乳房だけ切除したいもの。自分の女性らしい声が嫌で声を低くしたいが、ホルモン療法により顔が男性化するのは望まず、どうすべきか悩んでいるもの。女性としての自己に嫌悪があり、男性化を望んでいるものの、現在活躍している女子スポーツ(サッカー、ソフトボール、ボクシングなど)も捨てきれず、どうするか悩んでいるもの。身体的治療は望まないが、典型的な女性名が嫌で、男性的な名前への改名だけ希望するもの。交際している女性と結婚したいが、女性同士だと結婚できないために、結婚可能な男性へと戸籍変更したいがために、特例法の要件を満たすように男性化への身体治療を望むもの。女性になりたいわけではないが、男性的になるのも嫌で精巣摘出を望むもの。男性性器はそのままでもいいが、顔だけは女性化したくて顔の形成手術を望むもの。女性になりたいものの、妻子がいて、治療に反対されどうすべきか悩んでいるもの。身体的には女性になりたいが、職業生活はこれまでどおり男性を続けたいもの。男性であると思ったり、女性であると思ったりと、ジェンダーアイデンティティが揺れて、どうすべきか悩んでいるもの。
このように具体的例を羅列していけば、ホルモン療法や性別適合手術といった身体治療や特例法により戸籍変更することが、すべてのケースに万能薬として効き目があるわけでないことが理解していただけよう。性別違和を抱える者の悩みの内容は多様であり、ステレオタイプ性同一性障害理解で解決するものではないのである。実際には一人一人に対して、それぞれ最善の選択肢をともにその都度考えていくしかない。また社会も典型的な男性や女性の枠にあてはまらない、多様な性のあり方を持つ人がいることを留意し理解することを望みたい。
おわりに
セクシュアリティを構成するいくつかの要素に分けて、こころとの関連を、精神医学的立場から概説した。精神医学は、人の持つ多様なセクシュアリティに対して、時として精神疾患としての診断を与える。しかしながら、その診断は、単に人のセクシュアリティを「正常」と「異常」に分かつレッテル貼りとしてではなく、個々の持つ多様なセクシュアリティを尊重し、社会の中でより良く生きていけるようなツールとして用いていくように、我々は留意すべきであろう。


文献
1) 針間克己.セクシュアリティの概念.公衆衛生 2000;64(3):148
2) American Cancer Society.Sexuality&Cancer:For the Man/Woman Who Has Cancer and His/Her Partener. American Cancer Society;1999(アメリカがん協会、高橋都・針間克己訳.がん患者の幸せな性.東京:春秋社;2002)
3) Bayer, R,.Homosexuality and American Psychiatry, Princeton University Press;1981
4) American Psychiatric Association.Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders Second Edition.American Psychiatric Associationn,Washington D.C.;1968
5) American Psychiatric Association.Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders Third Edition.American Psychiatric Associationn,Washington D.C.;1980
6) American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders Third Edition Revised.American Psychiatric Associationn,Washington D.C.;1987
7) American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders Fourth Edition Text Revision.American Psychiatric Associationn,Washington D.C.,2000(高橋三郎、大野裕、染矢俊幸(訳).DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引,東京:医学書院;2002)
8) WHO.International Stastical Classification of Disease and Related Health Problems 10th Edition.World Health Organization;1992
9) American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders Fourth Edition.American Psychiatric Associationn,Washington D.C.,2000(高橋三郎、大野裕、染矢俊幸(訳).DSM-IV 精神疾患の分類と診断の手引,東京:医学書院;1996)
10) 針間克己.性的異常行動.臨床精神医学 2001;30(7):739
11) 野宮亜紀,針間克己ほか.性同一性障害って何?.東京:緑風出版;2003
12) 針間克己,大島俊之ほか.性同一性障害と戸籍.東京:緑風出版;2007