ジェンダーの構成要素に性指向が入る理由

続き。

引用された文献ではないが、同時期に書かれた中塚論文が手元にあった。
性同一性障害:総論」
http://www.kanehara-shuppan.co.jp/magazines/detail.html?code=047512016100


それを読むと確かに、
P1299
社会的性(ジェンダー)は、ジェンダーアイデンティティ性役割、性指向などからなる。性自認は「心の性」とも呼ばれ・・


といった内容だった。
引用文献は示されてないが、小此木・及川論文とは語句の使い方が違うし、産婦人科の先生が、精神科の専門論文を読むのか?という疑問も生じた。
そこで、基本的文献である「性同一性障害の基礎と臨床」の山内論文を見たら、やはりビンゴであった。
P4 >ジェンダーは少なくとも三つの構成要素からなると考えられている。すなわち、gender identity(性同一性あるいは性自己認知)、gender role(性役割)、およびsexual orientation(性指向性)である。


で引用文献としてはやはり、小此木、及川論文が示されていた。


すなわち小此木・及川→山内→中塚と、伝わったと考えられる。


正直、かなり愕然としたが、気を取り直し、小此木・及川論文、さらに明示はないがその元ネタと思われる、ストラーの「性と性別」を読み直してみた。


すると、自分の勘違いに気が付いた。
ジェンダーの構成要素」とは「ジェンダーの下位分類にはこんな種類があります。」という意味ではなく、「人のジェンダーアイデンティティが形成されていく要素」という意味だった。


すなわち、「人のgender identityを形成していく要素は、中核的gender identity、性役割、性指向だ」という意味だ。
分かりにくいだろうから、具体的に。
FTMの場合、
「もともと自分は男だと感じる」(中核的gender identity)
「男性として働いて、ますます男だと思った」(性役割
「女性と付き合い、男だとさらに確信」(性指向)
「俺は男だあ」(gender identity)
という感じだ。
ゲイ男性だと
「自分は男だと感じる」(中核的gender identity)
「男性として働いて、違和感もない」(性役割
「でも男性を好きになる、男なのに・・」(性指向)
「男なんだけど、自分の男性性にちょっと不安を感じる」(gender identity)
という感じか。
この元ネタのストラーの考察には特に異論はない。
小此木及川論文も、ちょっとわかりにくいが、そういう趣旨だ。
山内論文は、それだけ読むとわかりにくい。
中塚論文では、もはやわからない。



というわけでストラーのオリジナル学説は、今の時代でもそれなりに説得力があるが、伝言ゲームのように論文での引用が続く中、
Gender identity→ジェンダー→社会的性
と言葉も変わり、詳しい説明も省略されていき、誤解を招く表現になった、ということのようだ。

性同一性障害の基礎と臨床

性同一性障害の基礎と臨床