“Nature loves diversity ; society hates it”は、一神教と多神教ではとらえ方が違う。

元ネタがあるかどうか不明だが、ダイアモンド先生の名言に「Nature loves diversity ; society hates it」(自然は多様性を愛で、社会はそれを嫌う)、というのがある。

いい言葉だとは思うが、いろいろ最近考えた。


検索するとNature loves なんとか、というのは、いろいろある。
中には、Nature loves symmetry(対称性)なんて言葉もあり、多様性の逆だな、と笑ってしまう。
まあ、自然界にはいろんな現象があるので、都合のいい現象を取り出せば、「Nature loves なんとか」というフレーズが作れる。
要するに、自己の主張をするロジックとして「Nature loves 」が使われるわけだ。


で、言いたいことは何かというと、一神教の世界における「自然」とは、「神が造ったもの」という含みがあるということだ。
すなわち「Nature loves」というフレーズは、「神の造った自然が愛するのだから、それは正しいことなのです」という意味になる。


自然の中に神の言葉を見るわけだ。
つまり、「Nature loves」とは、「聖書に書いてある」的、必殺技フレーズなのである。


いっぽう、日本のような多神教では、自然への感覚は異なる。
富士山も大木も奇岩も、それぞれが神である。
要するに、自然そのものが神なのである。
だから、多様なもの、そのものが一つ一つが神になりうる。


日本では、三橋さんが最近書いたように、両性具有的、巨体のマツコさん自体が神となる。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51743
菅原道真徳川家康や乃木将軍などが神になるのと同じであろう。


まあ、あまりまとまらないが、そういう意味で、“Nature loves diversity ; society hates it”は、一神教多神教ではとらえ方が違うのではないかと思うのである。