[緩話急題]「異質」への消えぬ偏見 人の心に積もる冷たい雪

[緩話急題]「異質」への消えぬ偏見 人の心に積もる冷たい雪

 ◇社会部次長 清水純一
 バンクーバー五輪の開会式に巨大なトーテムポールが現れた。白銀のステージで踊る先住民たち。その周りを白人、黒人、アジア系など様々な人種が取り囲み、手拍子を送る姿が心に残った。今大会は「ハーモニー(融和)」がテーマの一つ。異質の文化に対して、敬意をもって接することの大切さを世界に訴えたのだ。
 カナダの歴史にわけがある。西部開拓時代の抗争はもちろん、先住民の子供を寄宿舎に入れ、部族の言語や風習を封じる政策が1970年代まで続いた。聖火台の炎はただ揺らめくのではなく、凍(い)てついた人の心の雪を解かす役も果たすのだろう。
 そういえば、トーテムポールは私たち日本人にもなじみ深い。校庭のクスノキの下、花壇の横、砂場の向こう……木の柱にいくつもの顔が浮かぶその工作物はかつて、小中学校の校庭に当たり前のようにあった。私は小学生の頃、ブルース・リーに強く影響され、その柱に向かって跳びげりを食らわせたことがある。罰はちゃんと受けた。足が思い切り痛んだ。それはさておき、振り返れば不思議なことだ。遠く離れた北米の先住民文化がなぜ、日本の校庭を席巻しなければならないのか。
 古い新聞をめくると、本紙では51年3月に出てくる。東京都と米シアトル市の友好親善を伝える記事で、<市がトッテンポールを贈る>とあった。今と<ッ><ン>が違う。三省堂によると、「広辞林」にその名が加わったのは58年という。新聞の地域版にはこの頃、卒業制作で児童が彫り、校庭に残したとする記事がちらほら出始める。友達や先生との思い出を笑顔にして木肌に刻み、学びやを後にしたのだろう。
 シアトルから運ばれたポールは日比谷公園に立った。今は公園にはないが、極彩色の目玉のぎょろっとした顔が連なる本場ものだった。隣は霞が関の官庁街。その奇抜な造形を文部官僚がふと見上げて、ポンと手を打った−−というのは過ぎた推測か。多分、トーテムポールが広がったのはそれ自体にとても魅力があったからだ。
 笑った目、への字に結んだ口。いろんな顔が一つになって校庭を温かく見つめるトーテムポール。そんな想像をしていたとき、ふと取材で会った性同一性障害のA君を思い出した。<彼>は子供の頃、どんな気持ちでポールを眺めたのだろうかと。
 A君は女の子の体で生まれた。でも幼いころから意識は男性。今は外見も完全な男だ。大学を出てデザイン関係の職を望むが、履歴書に女と書く勇気がないと言う。アルバイト先では男で通している。男性トイレにも堂々と入る。でも会社に就職するとなると、戸籍などが必要でごまかしは利かない。今は特例法が施行され、条件がそろえば戸籍の性の変更も認められるが、「障害」を正しく理解する人は少なく、同性愛との混同など偏見はなお残る。
 人を傷つける言葉が氾濫(はんらん)する世の中で、君はただ自分を守ってきただけだ。そのことを恥じたりしてはいけない。
 冷たいのは周りの雪−−。

 ◇画・田中靖夫

 写真=社会部次長・清水純一

[読売新聞社 2010年2月19日(金)]