性同一性障害と自殺

精神科治療学 25(2):245-251,2010
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性同一性障害と自殺
針間 克己  石丸径一郎
2008年4月1日から2009年11月13日までに,はりまメンタルクリニックを受診した性同一性障害者1,138名の自殺関連事象を調査した。自殺念慮は62.0%,自殺企図は10.8%,自傷行為は16.1%,過量服薬は7.9%にその経験があった。自殺関連事象の経験は思春期にピークを迎えていた。自殺関連事象の心理社会的要因としては,典型的な性役割とは異なる行動をとることや同性への性指向を持つことによるいじめ,社会や家族からの孤立感,思春期に日々変化していく身体への違和,失恋により性同一性障害であるという現実をつきつけられること,世間の抱く性同一性障害者に対する偏見や誤ったイメージを自らも持つ「内在化したトランスフォビア」,「死ねば,来世では望みの性別に生まれ変われるのでは」という願望,生きている実感の欠落・無価値感,身体治療への障害,将来への絶望感などがある。精神科医は,性同一性障害者が孤立,絶望,無価値感から脱し,将来に希望が持てるように援助するべきである。
Key words:gender identity disorder, transsexual, suicide, self injury, sexual minority


はじめに
本稿では、性同一性障害を有するものの自殺を論ずるに当たり、まず自殺に関連する事象の統計を示す。次に自殺につながると思われる心理社会的要因を論じ、最後に精神科医としてなすべき事を記す。


Ⅰ.自殺に関連する事象の統計
性同一性障害を有するものの自殺統計は知られていない。筆者はこれまで約2000名の性同一性障害患者を診察しているが、そのうちの3名が自殺したことを確認している。診察した患者全例を追跡調査しているわけではないので、筆者に知らないところでそのほかにも自殺者が出ている可能性は否定できない。
本稿では自殺関連事象である、自殺念慮、自殺未遂、自傷行為、過量服薬の統計を示す。
1.対象
2008年4月1日から2009年11月13日までに、はりまメンタルクリニックを受診し、性同一性障害と診断され、初診時の問診により特定の質問項目への回答が得られているものを対象にした。FTM(female to male:身体的性別が女性でジェンダーアイデンティティが男性のもの)が739名(13-54才、平均年令25.4才)、MTF(male to female:身体的性別が男性でジェンダーアイデンティティが女性のもの)が399名(14-66才、平均年令32.6才)で、総数1138名であった。
2.結果
1)自殺念慮
自殺念慮がこれまでにあったものは、FTMの57.1%(422名)、MTFの71.2%(284名)、全体の62.0%(706名)であった。(表1)
自殺念慮を最初に抱いた年令は、あいまいなものが多かったが、164名で明らかであった。小学生から40台までの幅があり、中学生に分布のピークがあった。(表2)
2)自殺未遂
自殺未遂は、FTMの9.1%(67名)、MTFの14.0%(56名)、全体の10.8%(123名)にその経験があった。(表1)
123名中、86名については、その具体的方法が明らかであった。内訳は、首つり23名、リストカット14名、手首以外の身体への刃物切り付け11名、過量服薬18名、飛び降り8名、車両による衝突4名、道路飛びだし2名、その他6名であった。
自殺未遂を最初に行った時期は、67名で明らかであったが、小学生高学年から30台までの幅があり、高校時代が分布のピークを示した。(表2)
3)自傷行為
自傷行為は、FTMの16.5%(122名)、MTFの15.3%(61名)、全体の16.1%(183名)にその経験があった。(表1)
自傷の具体的方法の内訳は、鋭利なもので体を切る159名、鋭利なもので体を刺す3名、たばこの火で皮膚を焼く10名、その他11名であった。鋭利なもので体を切る場合、手首や腕を切るものが大多数であったが、FTMの3名は胸を切り、MTFの4名はペニスまたは睾丸の一部を切っていた。また、MTFでは、睾丸を針で刺す、睾丸を輪ゴムでしばる、睾丸にはんだごてをあてる、がそれぞれ1名いた。
自傷行為を開始した時期は、129名で明らかであったが、小学生から30台までの幅があり、中学・高校時代が分布のピークを示した。(表2)
4)過量服薬
過量服薬は、FTMの7.3%(54名)、MTFの9.0%(36名)、全体の7.9%(90名)にその経験があった。(表1)
過量服薬は、自殺を目的に行ったものもいれば、そうでないものもいた。
過量服薬を最初に行った時期は、58名で明らかであったが、中学生から30台までの幅があり、高校時代が分布のピークを示した。(表2)
3.他機関における統計
 性同一性障害ジェンダークリニックが設置されている岡山大学医学部においても、自殺念慮、自殺企図・自傷行為の統計がある。それによると、FTM407名、MTF254名において、自殺念慮がFTM67.8%、MTF70.1%、自殺未遂/自傷 FTM20.9%、MTF20.1%であった(この統計では自殺未遂と自傷は区別していない)。1)また、経時的変化の統計もあり、自殺念慮は1998年に80%だったのが2002年より低下し、2006年には40%台となっている。自傷・自殺未遂は1998年に40%だったのが、毎年減少し、2006年には10%を割っている。(図1)2)
 また、性同一性障害ではないが、セクシュアル・マイノリティであるゲイ・バイセクシュアル男性に関する統計も記す。日高ら3)によると、ゲイ・バイセクシュアル男性において、これまでに自殺を考えたことがあるものは65.9%、自殺未遂の経験は14.0%であった。


Ⅱ.自殺につながる心理的社会的要因
 筆者の臨床統計が示すように、自殺念慮や自殺関連行動は思春期にそのピークを迎える。その理由は、この節で示すように、思春期は、性同一性障害を抱える者にとって、さまざまな心理的苦悩が増す時期だからと思われる。以下、これまでの臨床によって語られた、「死にたいと思ったときの理由」、「自殺を企てたときの理由」を、いくつかの心理的社会的要因に分類して記す。
1.いじめ
性同一性障害においては、FTMであればスカートをはかずに野球やサッカーを好む、MTFであれば外遊びを好まずおとなしいなど、幼少期より典型的な性役割とは異なる行動をとることが多い。そのことから、同級生などから「おかま」「おとこおんな」など言葉によるいじめをうけたり、男子、女子どちらのグループにもはいれず、仲間はずれにされる。また、FTMが女性を好きな場合や、MTFが男性を好きな場合は、そのことが周囲に知られると、「レズ」「ホモ」などと呼ばれて、いじめられることがある。こういったいじめを親や教師に相談しても「男(女)らしくしないからだ」と理解を得られず、追いつめられた精神状態となる。
2.孤立感
性同一性障害者をマイノリティとしてとらえた場合、民族的なマイノリティとは違う点がある。民族的なマイノリティの場合、親や兄弟は、同じ民族としての仲間である。それに対して、性同一性障害者やゲイ、レズビアンといったセクシュアル・マイノリティにおいては、多くの場合、家族は多数派のセクシュアリティの持ち主である。そのため、少数派である自分自身のセクシュアリティを、家族に打ち明けることが出来ない。あるいは打ち明けたとしても、理解が得られないことが多い。そのため社会だけなく、家庭内においても、孤立した状態となる。
3.身体違和
性同一性障害においては、自己の身体的性別に嫌悪感を持つが、この嫌悪感は、固定化した身体的特徴より、特徴が変化していく時により強いものとなる。すなわち、FTMでは思春期に日々ふくらんでいく胸に嫌悪感を持ち、MTFでは声変わり、濃くなっていくひげや体毛が苦痛となる。この変化のため、今日より明日が、より辛いものとしてみなされることになる。
4.失恋
性同一性障害を抱えるものは、失恋により二重のダメージを受ける。ダメージの一つは通常の失恋と同じく、恋愛対象の喪失によるものである。もう一つのダメージは、その失恋理由に由来する。特にFTMにおいては、交際していた女性が、結婚や出産を真剣に考えだした結果、「あなたとは子供が出来ない」といった理由で交際が終わる場合が多い。この場合、自分が性同一性障害であること、男性としての生殖能力がないという現実をつきつけられ、強い絶望感におそわれることになる。
5.内在化したトランスフォビア
「内在化したホモフォビア(internalized homophobia)」と言う言葉がある。これは世間が同性愛に対して抱く偏見や恐怖心、すなわちホモフォビアを、同性愛者自身が自ら抱くことを示す。その結果、同性愛者である自分自身を肯定できず、自分自身を否定的にとらえることになる。4)それと同じメカニズムが性同一性障害を抱える者にも起こる。つまり世間の抱く性同一性障害に対する偏見や誤ったイメージを、性同一性障害者自らも持ち、自己を否定的に感じてしまう。これが内在化したトランスフォビア(internalized transphobia)である。
6.生まれ変わりたいという願望
性同一性障害では、その中心的特徴として「男性に変わりたい」「女性に変わりたい」という性転換願望がある。現実的には身体的治療を行うことで、その願望を達成しようとする。しかし、現実的思考が困難になっている場合や、さまざまな理由で身体的治療に進める可能性が乏しい場合、「死ねば、来世では望みの性別に生まれ変われるのでは」と考える場合がある。
7.生きている実感の欠落・無価値感
自分のジェンダーアイデンティティを表現し、自分らしく生きようとすると、周囲との摩擦を生じたり、差別や偏見にさらされることがある。そのため、社会に適応していこうとして、自分のジェンダーアイデンティティとは異なり、身体的性別に合致した役割で生きていくことも多い。たとえばFTMの高校生が制服のスカートを嫌悪したとしても、制服を着ない場合には、「校則違反」となり、教師や同級生や先輩などから、「不良」「生意気」などとネガティブなイメージで見られてしまう。そうならないように、目立たず「普通の女子高生らしく」学校生活を送ろうとする。しかし、その結果、自分が自分として感じられず、自分が生きているという実感がもてず、自己に価値があるとは思えない状態となる。
8.身体治療への障害
ホルモン療法や、性別適合手術といった身体治療を望んでも、様々な状況からその望みの実現が困難なものもいる。家族の強い反対がある、妻子を養っていかないといけない、これまで働いていた職場の理解が得られない、経済的に困難、身体合併症がある、などの理由である。そのため、身体治療を望む気持ちと、それを阻む状況の中で強い葛藤状態となる。
9.将来への絶望
これまでに記したように、自分らしく生きようとすれば、いじめや差別を受け強い孤独感を持つ。それを避けようと、身体の性別に適した役割で生きていこうとすると、自分が生きているという実感をもてない。どちらを選択しても、本人に生きる価値が見いだせず、今後もその状況が続くのかと悲観が強くなると、将来への絶望感となる。


Ⅲ.精神科医のなすべきこと
精神科医のなすべきことは、端的に言えば、前節で述べた自殺につながる要因を軽減することである。すなわち、孤立、絶望、無価値感から脱し、将来に希望が持てるように援助する。具体的な事柄のいくつかを以下に述べる。
1.受け入れる
セクシュアル・マイノリティである性同一性障害者に対して、精神科医が偏見を抱くのであれば、その偏見は診療場面において、言語的、非言語的に相手に伝え、さらなる心理的打撃を与えるであろう。これは「do no harm」の医師の原則にすら反する行いであるが、そのような体験をしたという性同一性障害者にあうことは少なくはない。
 孤独と不安の中、性別違和をだれにも相談できず抱えてきたものにとって、精神科医は最初にその秘密を打ち明ける相手の場合もある。そこで、精神科医がその人のセクシュアリティをありのまま受け入れ、その人格を尊重すれば、患者にとって孤独からぬけ出し、他者への信頼感を取りもどす第一歩となる。
2.周囲のサポート体制構築の支援
 精神科医との信頼関係を構築は貴重な一歩ではあるが、やはり日常生活の中でも周囲の理解を得ていく必要がある。すなわち、家族、学校、職場、友人関係などにおいて、理解者を増やし、自分らしく生きていける空間を広げていくことが望ましい。それは通常、「カムアウト」と呼ばれる、自分のセクシュアリティの告白によりなされていく。このカムアウトは勇気がいることであるが、その内容、タイミング、相手などをともに考えていくことで、カムアウトを支援する。また、カムアウトしても、家族、職場、学校等からの十分な理解が得られない場合は、直接その相手と話し合い、理解が深まるように説明していく。また、性同一性障害や、セクシュアル・マイノリティの自助グループ等の情報提供を行い、その参加により共感できる仲間が得られるように援助していくことも有用である。これらのことを通じて、日常生活においても、周囲からの持続的なサポートが受けられるような環境を整えていく。
3.将来の生活プランの作成
自分らしく生きていき、自己に価値があると感じられる将来設計の援助も有用である。社会で生きていくために、現実的なさまざまなことを考慮し、その人にとって、もっともすごしやすい生活の選択ができるように、ともに考えていく。将来設計の中には、ホルモン療法や性別適合手術といった身体治療も選択肢の一つとはなるが、身体治療を行えば、すべて望みがかなうといった、魔術的期待をしているものもいる。その場合、身体治療によっても、十分な期待通りの成果が得られず、落胆を強めるという結果になりかねない。身体治療によるメリット、デメリット、その限界も十分に吟味していくことが必須である。
4.社会への啓発
より幅広い視野に立てば、性同一性傷害の理解が進むように、社会に啓発していくことも自殺の予防には有用であろう。すでに示した岡山大学の統計では、1998年と比較し、2006年には、自殺念慮自傷・自殺企図ともに、大きな減少を示している。このことを筆者は、この間に性同一性障害をめぐる医療体制や法体制が整備され、社会の理解が進展したことの表れだと解釈したい。すなわち、社会の変化が、性同一性障害を抱えるものに対して、「絶望」から「希望」をもたらすようになったのではなかろうか。


最後に
患者の自殺は、その主治医にも精神的影響をもたらすという。筆者自身、患者に自殺された主治医としての自己と対峙する心の準備が出来ていないこともあり、自殺した3名の方の詳細については本稿では触れなかった。彼らのご冥福をお祈りする。


文献
1)中塚幹也:【連載】性同一性障害の生徒の問題に向き合う 第2回 思春期における性同一性障害の子ども.高校保健ニュース2009.10.28発行
2)中塚幹也:【連載】性同一性障害の生徒の問題に向き合う 第3回 学校保健の中でできる取り組み.高校保健ニュース2009.11.8発行
3)日高庸晴ほか:厚生労働省エイズ対策研究推進事業 ゲイ・バイセクシュアル男性の健康レポート2,2007(http://www.j-msm.com/report/report02/index.html
4)平田俊明:同性愛者の思春期.日本性科学会監修,セックスカウンセリング入門改定第2版; 金原出版,東京, 147-154p ,2005


表1 性同一性障害者の自殺関係事象の経験率

    自殺念慮 自殺企図 自傷行為 過量服薬
FTM  57.1% 9.1% 16.5% 7.3%
MTF 71.2% 14.0% 15.3% 9.0%
合計 62.2% 10.8% 16.1% 7.9%

表2 自殺関係事象の開始年令(開始年令判明者のみ)

    自殺念慮 自殺企図 自傷行為 過量服薬
0-6 0 0 0 0
7-12 24 11 10 0
13-15 80 14 43 11
16-18 35 21 43 19
19-22 10 10 21 17
23-29 10 6 11 6
30-39 4 4 1 5
40- 1 1 0 0
合計    164名 67名 129名 58名