ジェンダー・アイデンティティは「変態」から「人権問題」となった。

翻訳終了に伴い翻訳文全文アップ。
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ジャパンタイムス2007.1.23.
(訳by AJ)
ジェンダーアイデンティティは「変態」から「人権問題」となった。
日本は性同一性障害者の人権を認め始めた。しかし進歩の中にも問題ははらんでいる。
THOMASINA LARKIN著

「私が子供のとき、人間であることに満足できなかった。人間であることは美しい存在とは思えなかった」と、トリヤマ・オトジロウは語る。
「人間だとわかったとき、奇妙な気分だった。私は、動物に、鳥に、犬に、蛇になりたかった。でもどんなにそう願っても、この体から離れて、動物になれないことはわかっていた。私はとても失望した。」
「私の体は女性だった。しかし男性の体のほうがいいと思った。そのほうが、より動物的で、筋肉質で、毛深いからだ。それから私は男性になりたいと思うようになった。そう思ったの3歳か4歳のころだった」と彼は言う。
トリヤマはプライバシー保護のために仮名にしているが、すべてのトランスジェンダーにある程度共通のものを持っている。自分の生まれた体に自分が属していないという気持ちだ。
トリヤマが33歳のとき、彼は胸を取り、声を低くしひげを生やすためにホルモンを開始した。
トリヤマは現在39歳のアーティストだが、彼はトランスジェンダーという言葉が日本でほとんどなかった時代に育った。にもかかわらず、彼は男性になる道を見つけた。
トリヤマの若き時代とは違い、その後はトランスジェンダーに対し、日本では大きな理解と人権の進展があった。しかし、おそらくはその本質的な男女二分性を反映して、トランスジェンダリズムはいまだにさまざまな側面で、問題を引き起こす概念だ。
70000人に達するトランスジェンダーが日本にいると、さまざまなサイトやブログからは推測される。そういったサイトやブログは、トランスジェンダー支援グループのネットワーキングに有用な道具となっている。
たとえば、50歳女性の「K」はブログを用いて、自分の裁判の支援を呼びかけている。その裁判は、大阪のある雇用者が、彼女をいじめ差別したと、彼女が訴えているものだ。
彼女いわく「私は突然解雇された。正社員でない労働者の過酷な現実を感じた。」
「私は採用されるとき、雇用者に自分がGIDであることを伝えた。しかし、新しい上司は、少数者への理解がなく、自分たちを排除することしか考えていなかった。私は影に日向に、職場でいじめられた。」
「私の前には、声をあげることのできない人が大勢いた。私の職場が今の雰囲気を続けるならば、同じことが再び起きると思う。私は、黙って、泣き寝入りはいない。わたしは雇用者が労働者を物のように扱うのは許さない。少数者への差別は許さない。」
新潟大学法科大学院教授の山崎公士は、差別を感じている少数者への政府の扱いが適切であるとは限らないという。
山崎は内閣官房副長官のマトバ・ジュナオ(的場順三のことか?)へ12月21日提出された提言のまとめ役だった。この提言は「人権の法制度を提言する市民会議」というNPO設立を目指したもので、これにより「苦しんでいる」人々が声を上げやすくなるという。
「われわれは独立した国家的人権組織を設立したい」と山崎は言う。
「この提言によって、十分には認識されていない性的少数者の人権の侵害と差別についての意識が高まると確信している。」
この提言も、「K」の裁判も、日本で大きく報道された。このことは日本でトランスジェンダーが約10年前に始めて認識されてから、その認識が進展していることのよい例と思われる。
「当時、私は新宿2丁目のトランスジェンダーの集まりに参加した。私にとって初めての体験だった。あるものは黒いサングラスとマスクをしていた。そこにいるほかの人もトランスジェンダーだったにもかかわらずです。本名を名乗る人はいませんでした。」と世田谷区議の上川あや、38歳は語る。彼女は、日本の専門家が性同一性障害を認識し始めた当時に、男性から女性への性別の移行を開始した。
埼玉医大は、1996年、「自分の性別に持続的不快感や性役割に不適当感」を持つ患者についての「疾患」に関する答申を提出した。
1年の間に、日本精神神経学会はSRSをGIDへの治療として導入した。埼玉医大は、1998年に最初の手術を行った。多くの人々は、他の性別に適応するワンステップとして、手術の数年前から、ホルモン療法を開始する。
「この10年の間にトランスジェンダーの概念はすっかり変わった」と上川は言う。「変態についての概念だったのが、人権問題となった。」
しかし、ひとつの問題が解決する一方で、別の問題も起きていた。身体が魂をよりよく表すように改変される一方で、多くの書類は別の表記のままであった。
「私の場合、男性としての扱いは、すべて書類上だけであって、新たに家を見つけることや、医療機関にかかることや、仕事を見つけることは困難だった」と上川は言う。
「わ たしは、非常勤職員で、職場では誰も私が男性だとは知らなかった。わたしはIDの性別を変更しようとした。でも自治体はそれを許さなかった。そのような取 り扱いは初めてだと役所の人は言った。私は市にクレームをつけたがだめだった。裁判所でもだめだった。それで私は国会に行った。でもあってくれる人は少な かった。ほとんどは私を変人と思った。だから私は立候補することにした。」と上川は語る。
2003年4月東京で最も人口の多い世田谷区の区議に当選してからは、戸籍システムの変更を推し進めた。2003年7月国会は満場一致で法案を可決した。そして1年後に実施された。
20歳以上で、配偶者がなく、子供がいなく、睾丸がないか、睾丸機能が永続的になく、反対の性器に類似した概観の性器であれば、ければ、性別が変更できる。
上川は2004年の終わりにSRSを受けて、2005年に戸籍を変更した。2006年までに326名の人が戸籍の性別を変更した。

この法律はトランスジェンダーの人権にとって画期的なものであったが、新たなる心理的、社会的、政治的問題も引き起こしている。
戸籍を変更するには、必ず性転換をしないといけない。これは必ずしも、すべてのトランスジェンダーが望んでいるものではない。また、性転換をするには、患者は「障害者」とみなされるべく、二人の精神科医から医学的診断と承認を得なくてはならない。
「しかし私はGIDは障害だとは思わない」と、自身がトランスジェンダーの臨床医である松田豊http://kusuriusa.com/yutaka.htmかな?)は語る。「GIDは正直に自然に生きるときに日常生活で直面する、トラブルです。」と松田は語る。松田は六本木のクリニックでGID患者を受け入れている。
「おそらく、私は半分が男性で、半分が女性です。私の意識の中ではより女性ですが。このことはSRSを望む人にとってとても大切なことです。」
「手術する前は、男性であることをとても厄介に感じるでしょう。しかし手術の後、女性であることを厄介に感じるかもしれません。なぜなら100%の女性ではないからです。術後も何らかの男性性のかけらを有しているのです。」
トランスセクシュアルの中には、SRSは魔法の杖で、すべての問題を解決すると信じる人もいます。でもそれは幻想です。SRSを受けても多くの人が心理的問題を抱えています。」
他のトランスジェンダーも同様の心配を語る。Dr中村美亜は、セクソロジストであり、東京芸大の講師だが、若いころは性転換をしたかったが、しなかったという。なぜなら「当時はお金がなかったし、だんだんペニスがあってもいいと思えるようになった」からだ。
中村は「心に性別はあるのか」(あなたのハートにジェンダーの違いはあるのか?)という本を書き、SRSを望む子供の親の相談に時々乗っている。
「若い人は、性別変更がとても容易だと考えがちです。体を変えることはできるし、戸籍の変更可能です。それで若者は、自分の性別が正しくないなら、ただ変更すれば良いと考えるのです」と、38歳の中村は語る。「私は本当にそのことが心理的に容易であり、若者が十分に考えて行うとは確信がもてません。」
彼女は、日本におけるトランスジェンダーの人権の進展は望ましいが、トランスジェンダリズムが、社会のメインストリームに登場することへの、人々の反応を心配する。
「手術をし、ホルモン療法をし、法律を変え、性別を変えたとしても、人々の心まで変えることはできない。社会や人々はそう簡単には変わらない」と中村は語る。「私には大きなジレンマがある。一方で私は、社会がジェンダーフレンドリーであってほしい。一方で、性別を変えることが容易なことだと社会には思ってほしくない。」
中村は高校で講演を行い、すべてのトランスジェンダーが人生の中で大きな試練を克服してきた人間であるという間違った認識を社会が抱いていることに戸惑うと、しばしば語る。
「もちろん自分の望みをかねようとトライはしてきた。しかし、トランスジェンダーの多様な側面を世間は知るべきだ」と語る。
「あなたは強いね、とか、あなたはいかしてるね、とか言われるのは嫌です」
しかし、日本では新しいことや、聞きなれないことは、おしゃれだとみなされ、すぐに流行となる。2001年「金八先生」と呼ばれる人気テレビドラマシリーズの主役は、トランスジェンダーの高校生で、障害を克服するヒーローとして描かれた。
「今では、GIDの生徒の中には、体育館で、全校生徒の前で、誇り高くマイクを持って自分がGIDだとカムアウトする人もいます。というのも金八先生の主人公がそうしたからです」と上川区議は語る。
「多くのトランスジェンダーが誇りを持つようになりました。私たちはもう隠れはしません。私たちには権利があります。しかし最近は、プライドを持ちすぎたトランスジェンダーもいます」と上川は語る。
「たとえば、就職の面接のときに、すぐに自分がトランスジェンダーだという人もいます。でも、もしそれが最初の発言だとしたら、それは変です。最初に話すべきは仕事のスキルです。」
「契約終了に伴い再雇用されないのは、トランスジェンダーに限った問題ではありません。契約社員にはよくあることです」と上川は言う。
トランスジェンダーの人権をどのようにアピールするか、議論が続く中で、大勢が一致するのは、自分らしくあることに幸せを感じるのが最善策だ、ということだ。
「性別とは関係なく、楽しめることは世の中にはたくさんある。われわれはずっと性別のことを考えているわけではないのだから」とアーティストのトリヤマは語る。
「私はこのように生まれ、性転換のことなど考えもしない人間だったら、決してもてなかった深い洞察を得た。ただ不幸になったわけではなく、芸術作品を作る手助けとなっているのだ。」


トランスジェンダーまめ知識

トランスジェンダーは新しい概念か?違う。北米のネイティブには1700年はじめより「Two-spirit」の記録がある。ブラジルのTupinamba の女性の中には男性として暮らすものがいる(1500年半ばより記録)。アフリカのほとんどの国ではトランスジェンダーは霊的なリーダーだ。中国でクロスドレッサーはshih-niangと呼ばれる。 韓国にはmudang(http://www.jiten.info/dic/mudang.html) というトランスジェンダーがいる。沖縄にはwinagu nati という女性になる儀式がある。おそらくもtも有名な歴史上の記録はジャンヌダルクだ。1431年に女性の服を着て髪を伸ばすことを拒んだために、処刑された。最初のSRSはいつか?1931年のベルリンだ。性転換手術はいくらかかる?MTFの造腟術は5000ドルから1万ドルの間だ。FTMのペニス形成は7000ドルから2万ドルの間だ。トランスジェンダートランスセクシュアルは同じものか?トランスジェンダーとは、生まれたときの性別に同一性をもてず、二つの性別をともに持ったりその間を行き来するものだ。多くは、生まれた体のままで生きることに満足するが、名前を変えたり、反対の性別の服装をしたり、ホルモンをしたり、「軽い」手術をすることもある。一方、トランスセクシュアルは自分が生まれた性別とは反対の性別の身体を得ようと望むものだ。詳しい本は? Leslie Feinbergの "Transgender Warriors"は世界中のトランスジェンダーについて深く探求しているよい本だ。Date Bornstein の"Gender Outlaw"はジェンダーアイデンティティの役割について、ユーモラスかつ洞察深く記した本だ。