ジェンダー・アイデンティティは「変態」から「人権問題」となった。2

(訳by AJ)
(昨日の続き)
「当時、私は新宿2丁目のトランスジェンダーの集まりに参加した。私にとって初めての体験だった。あるものは黒いサングラスとマスクをしていた。そこにいるほかの人もトランスジェンダーだったにもかかわらずです。本名を名乗る人はいませんでした。」と世田谷区議の上川あや、38歳は語る。彼女は、日本の専門家が性同一性障害を認識し始めた当時に、男性から女性への性別の移行を開始した。
埼玉医大は、1996年、「自分の性別に持続的不快感や性役割に不適当感」を持つ患者についての「疾患」に関する答申を提出した。
1年の間に、日本精神神経学会はSRSをGIDへの治療として導入した。埼玉医大は、1998年に最初の手術を行った。多くの人々は、他の性別に適応するワンステップとして、手術の数年前から、ホルモン療法を開始する。
「この10年の間にトランスジェンダーの概念はすっかり変わった」と上川は言う。「変態についての概念だったのが、人権問題となった。」
しかし、ひとつの問題が解決する一方で、別の問題も起きていた。身体が魂をよりよく表すように改変される一方で、多くの書類は別の表記のままであった。
「私の場合、男性としての扱いは、すべて書類上だけであって、新たに家を見つけることや、医療機関にかかることや、仕事を見つけることは困難だった」と上川は言う。
「わたしは、非常勤職員で、職場では誰も私が男性だとは知らなかった。わたしはIDの性別を変更しようとした。でも自治体はそれを許さなかった。そのような取り扱いは初めてだと役所の人は言った。私は市にクレームをつけたがだめだった。裁判所でもだめだった。それで私は国会に行った。でもあってくれる人は少なかった。ほとんどは私を変人と思った。だから私は立候補することにした。」と上川は語る。
2003年4月東京で最も人口の多い世田谷区の区議に当選してからは、戸籍システムの変更を推し進めた。2003年7月国会は満場一致で法案を可決した。そして1年後に実施された。
20歳以上で、配偶者がなく、子供がいなく、睾丸がないか、睾丸機能が永続的になく、反対の性器に類似した概観の性器であれば、ければ、性別が変更できる。
上川は2004年の終わりにSRSを受けて、2005年に戸籍を変更した。2006年までに326名の人が戸籍の性別を変更した。
(続く)