homosexualの訳語が同性愛なのはおかしい。

「LGBTを読みとく ─クィアスタディーズ入門」で、軽く突っ込まれていて、確かに、と思ったのだが。
homosexualの訳語が同性愛なのはおかしい。
homoは「同じ」の意味で,sexualはいろいろ意味があるだろうが、性欲や性行動の意味で「愛」ではない。
よって「同・性愛」ならまだしも、「同性・愛」はおかしい。
英語でも「homosexual」という言葉が嫌われたのは、医学用語であるだけでなく、「同性性欲」的な生々しいニュアンスのせいもあるだろう。
それゆえ、一時期「homophile」という言葉を使おう運動が盛り上がったのだろう。
phileは「love」なので、「homophile」こそが「同性愛」。

日本では何故、homosexualを「同性愛」と訳すようになったのか?


ちょっと検索したら、杉浦郁子先生の論文発見。
元ネタは古川誠先生の論文だが。(1994,「セクシュアリティの変容──近代日本の同性愛をめぐる3 つのコード」『日米女性ジャーナル』17: 29-55.1995,「同性『愛』考」『イマーゴ』6(12): 201-207).
https://www.wako.ac.jp/_static/uploads/contents/managed_html_file.name.8c034ecafbe8dbf1.3030372d3032362de69d89e6b5a62de69c80e7b582572e706466/007-026-%E6%9D%89%E6%B5%A6-%E6%9C%80%E7%B5%82W.pdf
和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)「女性同性愛」言説をめぐる
歴史的研究の展開と課題 杉浦郁子 
>1900
年代に入ると、男同士の肉体的な接触がhomosexuality として問題にされるようになった。その訳語として「同性交接」「同性的色情」「同性(間)性欲」など多くの表現が作られたが、1920 年代には「同性愛」に収斂していったという。「男色から同性愛へ。しかも同性(間)性欲ではなく同性愛へ」(古川1995: 206)。性欲を人間の身体を支配する本質と見なし、それに特権的な地位を与えた通俗性欲学(川村1996: 82)が、「性欲」ではなく「愛」という言葉を採用した。この認識の転換に影響を及ぼしたのは、女学生同士の親密な関係の社会問題化である、というのが、同性愛の社会史を研究した古川誠の考察である。古川の議論をまとめると次のようになる。
1899(明治32)年に女子中等教育の制度が作られたことで1900 年代に女学生が急増し、女学生への世間の関心が高まった。その過程で、女学生間の親密な関係が取り沙汰されるようになったが、「女は男より友愛の情に厚い」「女同士で仲の良いのは当たり前」とするジェンダー規範が作用し、女学生間の関係は肉体的なものではなく、精神的なものだと考えられた。homosexuality の訳語として、肉体的なニュアンスの強い「交接」「色」「性欲」ではなく、精神的な側面に重きを置いた「愛」が採用された理由の一端は、女学生間の親密な関係を視野に収めるためだったのではないか(古川1994: 43-45, 1995)。