記者の目:連載「境界を生きる」を終えて=丹野恒一

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記者の目:連載「境界を生きる」を終えて=丹野恒一

毎日新聞 2013年03月29日 00時25分


 この世界は「男」と「女」だけでつくられ、異性同士が愛し合うもの−−。「常識」の社会の中で生きづらさを抱える人々の姿を紹介する、くらしナビ面連載「境界を生きる」を足掛け5年にわたって執筆した。連載を終えた今、社会の「無関心の罪」の重さを、改めて強く感じている。

 昨年初め、ショックな出来事があった。連載を始めて間もないころ、心と体の性が一致しない性同一性障害に苦しんだ思春期の体験を語ってくれた為佐(いさ)さんが、睡眠薬を飲み過ぎた後に亡くなったのだ。21歳だった。

 女の子の体で生まれたが幼稚園のころから自分を男の子だと意識し始めた。小学生のころ「おとこおんな」といじめを受けた。徐々に大人の女性の体になっていく自分に耐えられず、リストカットを繰り返した。つらい体験を「これからの子どもたちの役に立つなら」と、語ってくれた。

 夢は教員になること。進学を目指し頑張っていると、折に触れ報告してくれた。その陰で、いじめの記憶に発作的に襲われ、苦しみ続けていたとは知らなかった。

 為佐さんは自殺したのではない。私は今もそう信じている。死の数時間前に書かれたとみられるブログには「この壁を乗り越える」という言葉が残されていたからだ。だが、取材で出会った多くの人々に、自殺を考えたり、死のうとしたりした経験があったのも事実だ。ある当事者の言葉が切なかった。

 「先月笑っていた人が、今月にはいない。私たちの周囲では、それが当たり前だ」

 性同一性障害だけではない。染色体やホルモンの異常が原因で体の性別があいまいなため、出生時に性別が決められなかったり、男女二元論で成り立つ社会に適応しづらかったりする「性分化疾患」や、同性愛の人々も同じだ。

 ◇受け入れる気持ちに差

 性的マイノリティーの人々に対する理解は、この10年あまりで急速に広がってきてはいる。気がかりなのは、生き方の違いで、社会の側が受け入れる気持ちに差をつけていると感じることだ。

 性同一性障害に関しては、90年代後半に「性転換」の性別適合手術が正当な医療行為と認められた。03年には家庭裁判所の審判で戸籍の性別変更を可能にする特例法も成立した。性別変更が認められた数は年々増え、昨年までで計3584人に上る。

 根強い差別はあるにせよ、「病気だから受け入れよう」という空気は、予想以上の速さで醸成されているのだ。

 だが、誰もが手術までするわけではない。「病気や障害として扱われたくない」と医療から距離を置く人もいる。高額な手術代が用意できず性別を変えられない人もいる。こういう人たちは逆に「好きでそうしている」と受け止められ、苦しみが顧みられなくなっているように思う。

 同性愛にも同じことが言える。欧米を中心とした当事者らの運動によって、同性愛は今、精神疾患として扱われることはなくなった。だがその結果、日本では皮肉にも「病気でないのだから配慮はいらない」との考えにつながったように思えてならない。

 「性のあり方」は多様だ。当事者が置かれた状況も、どう生きたいと願うかも違うし、必要なケアもさまざまだ。なのに「手術した人には配慮する」「手術しない人が受け入れられないのは自己責任」などと扱いを区別していいのか。

 ◇少数派も生きやすい社会に

 昨年夏、カナダの最大都市・トロントで性的マイノリティーの人々のパレードを取材した。印象的だったのは支援者の存在感だ。親たちは「息子、娘を誇りに思う」と堂々とアピールし、警察や銀行といった堅いイメージの組織の人々も「あなたたちの生き方を支持する」とプラカードを掲げて歩いていた。沿道に集まった100万人以上の観衆とパレード参加者が一体となり、互いの存在と温かな関係性を確認し合っているように見えた。ひるがえって日本。東京のど真ん中でパレードしても、沿道の人はどこかよそよそしい。当事者たちだけが、「私はここにいる」と魂の叫び声を上げる。そんな様相だ。

 「自分の生活に直接影響しなければ、誰も私たちに関心さえ持たない。そういう社会で生きてきた」。当事者の言葉が重く響く。

 大切なのはマニュアル化した対応ではない。まずは、他人の痛みに関心を持とう。その出発点さえ間違わなければ、やがては性的マイノリティーだけでなく、差別や偏見に苦しむ多くの人々が生きやすい社会へと変わっていく。私は希望を持っている。(生活報道部)