いかにして「性同一性障害としての生い立ち」を持つことになるのか

またまた、鶴田幸恵先生の御論文、
『いかにして「性同一性障害としての生い立ち」を持つことになるのか
――実際のカウンセリングの録音・録画における「自分史をやる」  活動に焦点を当てて』
(〈当事者〉をめぐる社会学―調査での出会いを通して、第2章)
を読む。


>第2章 いかにして「性同一性障害としての生い立ち」を
    持つことになるのか
――実際のカウンセリングの録音・録画における「自分史をやる」
  活動に焦点を当てて(鶴田幸恵)
 1節 はじめに
 2節 性同一性障害の「当事者」とは誰か?
 3節 性同一性障害のカウンセリング
 4節 「自分史をやる」活動
 5節 おわりに



「スカートを小学生時代違和感なくはいていたFTM」のような、非典型例の診断過程を論じている。
従来の言説では、こういった非典型の自分史だと診断されにくいといわれていたが、
実際の臨床現場では、心理士・精神科医と当事者の共同作業により、こういった非典型的エピソードもGID自分史の流れの中に収束されていく様を考察している。


個人的には、「スカートをはいていたという自分史だと、FTMと診断されない」という言説と実際の臨床現場の違いが、
・最初から言説のほうが単なる都市伝説だったのか、
・時代の流れの中で、診断基準がゆるくなっているのか、
医療機関による差異なのか、


のどれかなのかが気になった。

http://www.kitaohji.com/books/2730_3.html

〈当事者〉をめぐる社会学―調査での出会いを通して

〈当事者〉をめぐる社会学―調査での出会いを通して