性同一性障害とインターネット

針間克己:性同一性障害とインターネット.精神科治療学 第21巻11号:1299-1233,2006
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo01/bo0102/bn/21/11.html
抄録

わが国において、1990年代半ばからの10数年は、性同一性障害を取り巻く環境は大きく変化し、またインターネットの急速な普及・進展がみられた。この両者の起きた時期が一致したのは、必ずしも偶然ではなく、インターネットの普及が性同一性障害を取り巻く状況に、影響を与えたと筆者には感じられる。インターネットは性同一性障害者のジェンダーアイデンティティ形成に、自分史の再構築、ロールモデルの発見、性役割行動の場、他者交流の第一歩といった側面から影響を与える。また、インターネットにより、当事者は性同一性障害に関するさまざまな医療情報を得るとともに、直接医療サービスを受けることも可能となった。またインターネットは地域を超え継続的な当事者交流の場となり、さらに社会的運動のひとつのツールとなりえ、性同一性障害者特例法の制定などの結実をもたらした。

Keyword

gender identity disorder, transsexual, transgender, internet,

英文タイトル

Gender identity disorder and internet


性同一性障害とインターネット

はじめに

わが国において、性同一性障害が医学的問題として広く認識され、取り組まれるようになったのは、1990年代半ばからの、ここ10数年のことである。その間、治療ガイドラインの制定1)、公的に知られた性別適合手術の実施、治療医療機関の増加、患者数の増大、戸籍の性別を変更できる法律の制定・実施2)など、性同一性障害を取り巻く医療的・社会的環境には、大きな変化が起こった。また、一方で、ここ10数年は日本でもインターネットの急速な普及・進展がなされた期間でもあった。奇しくも、性同一性障害におけるわが国の変化の時期と、インターネットの普及の時期は重なり合うわけだが、それは必ずしも偶然ではなく、インターネットの普及が性同一性障害を取り巻く状況に、少なからずの影響を与えたと筆者には感じられる。インターネットのない時代に性別違和を抱え生きて生きた中高年と、インターネットの影響の中で育ってきた若い性同一視障害者では、その病像形成や考え方にも相違があるように思われる。本稿では、性同一性障害とインターネットの関係をジェンダーアイデンティティ形成、医療情報、当事者交流の観点から論ずることにする。


1.ジェンダーアイデンティティ形成に果たす役割

性同一性障害とは、自分のジェンダーアイデンティティが身体的性別に一致しないために苦悩を生ずる状態である。このジェンダーアイデンティティ形成には、脳の性分化という生物学的要因が関与しているといわれるが、いっぽうで社会的・生育的要因も関与し、この両者の相互作用で形成されていくと推測されている。現代日本においては、この社会的・生育的要因のひとつとして、インターネットも一定の役割を果たしていると筆者には感じられる。まずはこの点を自分史の再構築、ロールモデルの発見、性役割行動の場、他者交流の第一歩から論ずる。


自分史の再構築

性同一性障害の診断においては「自分史」というものが用いられる。この自分史とは、患者自らが自分の生まれから現在を振り返り、その生活史をまとめたものである。この自分史を詳細に検討していくことで、担当医は、患者の病歴を把握していく。性同一性障害特有の特徴として、患者自身が身体的治療、すなわちホルモン療法や手術療法で、望む性別の身体への移行を求めるということがある。そのため、患者は自分が典型的な性同一性障害の病歴であるかのように語ろうとし、典型的な性同一性障害の自伝などを読み、それと同じ生活史を偽って語ることもありうる。しかし、そのような行為は、詳細な面接の中で、それが偽りであることが明らかにされやすい。また現在の診断基準や治療指針では、典型的な病歴ではなくても、診断を得て、治療を受けることは可能であるので、そのような偽りの生活史を述べるメリットは乏しい。しかし、そのような意図的に作り上げた生活史ではなくても、他者の生活史の影響を受けることは起こりうる。過去においては、他の性同一性障害の生活史・病歴は、数のごく限られた、性同一障害者の自伝的な出版物を読む以外に知る由がなかった。だが現在では、性同一性障害者によって書かれた文章はインターネット上に膨大な数が存在する。その中には日記や、自分の生活史を記したものが多数あり、容易にアクセスし読むことが可能である。性別違和を抱えるが、それがなんなのかはっきりわからないものは、現代では多くの場合、まずはインターネットにアクセスし、その答えを求めようとする。そうするとインターネット上に存在する性同一性障害者の書いた自伝的文章や日記を読むことになる。そこでは、性同一性障害者のさまざまな生活歴、あるいは病歴を学ぶことになる。そこで、たとえば「女の子だが小さいころから、怪獣ごっこが好きだった」「小学校に入るとき赤いランドセルがいやだった」といったようなエピソードを知り、「自分にも同じような体験がある」と自分の記憶から類似のエピソードを思い出すことになる。こうして、過去のさまざまな体験の中から、性同一性障害の病歴にふさわしいエピソードが強く思い出されていくことで、「性同一性障害らしい」生活史が、記憶の中で再編成されていく。これは先ほど述べた、意図的に他者の生活史を偽って語るものとは異なる。しかしながら、それは他の性同一性障害者の影響を受けて、過去の無数のエピソードから、性同一性障害にふさわしいものが選択され再構成されたという側面は否定できないであろう。


ロールモデルの発見

前節でインターネットによって、過去の生活史が再編成されていくことを述べた。インターネットにおいては、過去だけでなく、現在及び未来の自分のあり方にも影響を与える。すなわち、インターネット上の性同一性障害者のホームページにおいては、「通院日記」あるいは「戸籍変更の記録」のような内容も多数ある。そこでは性同一性障害者が今後たどる可能性のある、さまざまなコースが詳細に述べられている。精神科に通院し、職場や家族にカムアウトし、ホルモン療法を受け、手術を受け、戸籍の性別変更をする、といった流れを詳細に知ることができる。また、一口に性同一性障害といっても、その置かれた立場や、望むものはさまざまであるが、インターネット上で多くのサイトを見ていく中で、自分と類似のタイプのものを探すことも容易である。そういった人物がロールモデルとなり、同様の行動をとっていこうとするものは多い。具体的には、精神科通院開始にあたって新たに自己のホームページを立ち上げ、「通院日記」を書き始めたりする。それはインターネットで知った「先輩」のサイトと類似のものであったりするのである。


性役割行動の場

ジェンダーアイデンティティ心理的・内面的なものである。そのため、性同一性障害者では、社会的には身体的性別ですごしているものも多い。その場合、たとえ身体的性別とは反対のジェンダーアイデンティティを有していたとしても、内的なものに過ぎないことより、そのアイデンティティは確固たるものになりにくいこともある。そのためジェンダーアイデンティティの強固な確立には、社会的にもその性別で過ごすことが必要となりうる。しかしながら、性別違和を抱えるだけで、身体的治療や周囲の人にカムアウトもしていない状態では、社会的に望む性別ですごすことは一般的には困難である。しかしながら、インターネットではそれは可能である。外見を実際には見せる必要はなく、周囲に知られることもなく、インターネット上で望みの性別ですごすことは可能なのである。実際、身体的治療はしておらず、外見的には生まれたときの身体的性別のままではあるが、インターネット上では望みの性別として、チャットをしたり、ホームページを運営したりしているものは多い。しかしインターネット上であっても、本人にとっては、社会的にも望みの性別で過ごす第一歩としての意味はあり、それまで内的なものであったジェンダーアイデンティティが社会的意味を持つようになり、自己のジェンダーアイデンティティの強化へとつながっていくのである。


他者交流の第一歩

性同一性障害者は社会的に少数であり、従来は孤立し、互いに知り合うこともなく、仲間を見つけるのは困難であった。しかし、最近はインターネットや携帯電話などのツールを用いることで、仲間を見つけるのも容易になった。そこで知り合った仲間と、ネット上だけでなく、実際に会い友人になることも多い。性同一性障害者同士であれば、外見や戸籍の性別などによらず、望みの性別でお互いに認め合うことは容易である。こうして、自分以外の性同一性障害者と交流を持ち、自己のジェンダーアイデンティティを他者から認められることにより、そのアイデンティティはより強固なものになっていくのである。

以上、性同一性障害者のジェンダーアイデンティティ形成にインターネットの果たす役割を述べた。ここで述べたように、性同一性障害者では、最初は必ずしも反対の性別への強固なジェンダーアイデンティティを確立していなくても、現代においてはインターネットのさまざまな影響・作用を受けていく過程で、徐々に強固なジェンダーアイデンティティが確立していくという側面があるのである。


2.医療情報源として

前節のように性同一性障害者のアイデンティティ形成には、インターネットは影響を与えうるが、医療情報源としても、大きな意味を持っている。

一般的には、性同一性障害の治療は、精神科医による診断・精神療法・身体的治療への同意、ホルモン療法、外科的手術、という段階を進んでいく。また、他の疾患と違う、性同一性障害の持つ特徴として、望みの身体的性別に近づくために、当事者自らがホルモン療法や手術といった身体的治療を強く求める場合が多いということがある。そのため、あたかもロールプレイングゲームのように、いかにそれぞれの段階をクリアしていくかということが当事者にとっては重要となる。そのために、クリアを容易にするための情報が重要となるわけである。

そのため精神科医の段階では、個々の精神科医の具体的診療内容がインターネット上に流布することになる。ひらたくいえば、「性同一性障害との診断がおりにくく、なかなかホルモン療法に進むことを同意しない精神科医」ではなく「性同一性障害との診断をすぐにしてくれ、容易にホルモン療法に進むことに同意してくれる精神科医」が誰かといった情報が、インターネット上で情報交換されているのである。

また、ホルモン療法についても同様に「精神科医の同意なくすぐにホルモン療法をしてくれる病院はどこか」といった情報が流れている。また、ホルモン療法は自費負担となり個人の出費も大きいことや、副作用の心配もあることより、値段や、ホルモン療法をする医師の専門知識の度合いといった情報も流れている。またホルモン療法に関しては、より直接的に、インターネットを利用して個人輸入により入手が可能である。そのため、まったく医療機関の介在がないままに、ホルモン剤を入手しているものも多くみられるようである。

性別適合手術(性転換手術)は、国内での実施医療機関は限られているので、タイを中心とした海外医療機関の情報がインターネット上で主に流布されている。そこでは、実際に手術を受けたものの体験談だけでなく、病院自身が運営するサイト(日本語版のある病院もあり)による、術式、値段、術者の紹介するようなものもある。病院運営のサイトにメールを送れば、手術を受けるにあたって必要なお金、書類等を迅速に知ることもできる。またタイの病院では、日本語でのメールのやり取りも可能なところがある。そのため、日本の医療機関にはかからずに、インターネット上で知りえた情報を元に、タイなどの海外医療機関で手術を受けるものも多い。

このようにインターネットにより、当事者はさまざまな医療情報を入手し、さらには直接に医療機関にコンタクトしたり、医療サービスを得たりすることが現在では可能となっている。


3当事者交流の場として

ジェンダーアイデンティティ形成に果たす役割」のところで、インターネットは他者交流の第一歩としても意味を持つことを述べた。この他者交流の場としてのインターネットは、より大きな当事者交流の場としても意味を持つ。

従来は性同一性障害者の交流の場はごく限られたものであった。たとえば、「おなべ」「ニューハーフ」などと呼ばれる、非典型的な性別特徴を売りにした、接客業や風俗業が一つの受け皿として機能した。しかし、実際にはそういった職業につくものは、必ずしも性同一性障害でないものも多くいたし、性同一性障害者の多くのものは適性を感じず、そういった職業には就かなかった。あるいは女装クラブといったものもあった。女装クラブも一定のコミュニティとしての役割を果たしたが、多くのものは、趣味や性嗜好としての女装であり、必ずしも性別違和がある性同一性障害者ではなかった。また、いずれにせよ、これらのお店やクラブは、限られた地域にのみ存在するものであり、遠方のものにとっては参加が困難であり、交流の場としては、物理的限界も有していた3)。

また、性同一性障害の当事者として啓発・著述活動を行っている虎井まさ衛氏は「FTM日本」というミニコミ誌を発行しており、当事者交流の場として一定の役割を果たしてきた。しかし、ミニコミ誌という性格上、年間の発行回数は限られ、購入者のみに交流が限定されるという限界があった4)。

しかし、職業や地域などの制限を受けず、即時的なやり取りが可能なインターネットの普及はこういった状況に大きな変化をもたらした。全国あるいは時には海外のさまざなま性同一性障害者(あるいは広く、ゲイ、レズビアンインターセックスなども含めたセクシュアルマイノリティの人たち)は、インターネットを通じて継続的に交流を持つようになった。個人ホームページ、性同一性障害の団体のサイト、掲示板などでさまざまなレベルでの情報交換、交流が行われるようになったのである。

こうしたインターネット上の当事者間の交流は、社会への変革を促す当事者運動の土台にもなった。当事者運動にとって有用なニュースや情報は、瞬時に全国的に共有される知識となる。また何らかのイベント(講演会、シンポジウム)なども、インターネットを通じた情報告知により、広く宣伝され、多数の出席者を集めることが可能になった。

このようなインターネットによる当事者運動の結実が2003年7月16日に制定された「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下「特例法」と記す)ともいえよう。特例法の成立に当たっては、関係国会議員の尽力や国民世論の後押しといった要因もあるが、インターネットにより、散在していた多くの当事者のエネルギーが集積された点も大きいであろう。インターネット上の情報を同時に共有した当事者たちは、個別にあるいは集団で、国会議員への陳情や関係者への働きかけを行い、特例法制定の必要性の理解を広めていったのである。いわば特例法は、インターネットがあって初めて生まれることのできた、この時代の産物ともいえる5)。


おわりに

インターネットと性同一性障害の関連について述べた。以前であれば、性別違和のあるものは、孤独を感じながら、「性別を変えるには決死の覚悟で遠い外国に行き」「その後は、偏見や差別に耐えて一生ひっそりと生きていく」しかなかった。しかし、現在では、インターネットの出現により、他の性同一性障害者の影響を受けながらジェンダーアイデンティティを確立し、効率よく医療情報を得て、さらにそれにより医療サービスも利用し、仲間とともに社会運動を行うことも可能になった。性別違和のあるものはいつの時代にもいると思われるが、そのありようはその生きた社会によって大きく影響を受けるのである。


文献

1)日本精神神経学会性同一性障害に関する特別委員会:性同一性障害に関する答申と提言.精神神経学雑誌,99(7);533-540,1997

2)南野知恵子:[解説]性同一性障害者性別取扱特例法.日本加除出版,東京,2004

3)矢島正見:戦後日本女装・同性愛研究.中央大学出版部,東京,2006

4)虎井まさ衛トランスジェンダーの時代 性同一性障害の現在.十月舎,東京,2000

5)針間克己:性同一性障害の現状と特例法.日本医師会雑誌,130(5);754-758,2003