性同一性障害者は現代のアテナ神か

おとといの学会で、印象的だったことのひとつとして、ジェンダー論の中に結構、「性同一性障害」がでてきたことだ。


以前、誰のブログかは忘れたが、「人間の性の多様性の枕詞としてインターセックスを使うのは勘弁してほしいなあ」といった文章を読んだことがあるけれど。
おとといの学会は、ジェンダーの多様性の枕詞として、性同一性障害が使われているという感じだった。
ジェンダー論と絡めて性同一性障害を語るのは、当事者的にはあまり最近はやってない気がするが、外野的には、大盛り上がりという感じだった。


そんなことを考えると。
女性社会から男性社会への移行の象徴が、アテナ神であるならば。
男性中心社会から???社会への変革を目指すジェンダー論者たちにとって、性同一性障害者はその象徴なのかもしれないなあ。
現代のアテナ神みたいな。