今日は精神科医が何百人もいるところにいたのだが。
そういうところにいると、なんか逆に自分の「精神科医identity」が揺らぐような。
それで思ったのだが、identityには2種類ある。
勝手に命名すると、
「anyone identity」と「only one identity」。
「anyone identity」は、「わたしはみなと同じ」、つまり大多数とおなじ属性であるという感覚。
日本人であるとか、ヘテロセクシュアルであるとか。
普段は意識されず、そのことにはプラスの感情もマイナスの感情もあまりない。
「only one identity」は、「わたしはたった一人」、つまり大多数と違う属性であるという感覚。
「わたしはイケメンのエリート医師」とか、ホモセクシュアルであるとか。
普段から意識され、そのことにプラスの感情やマイナスの感情がかなり伴う。
状況の変化で、この二者は変わりうる。
たとえば日本人(anyone identity)が、欧米に行って、白人コンプレックス持つとか(マイナス感情のonly one identity)。
ヘテロが新宿二丁目にいって、疎外感を持つとか。
マイナスの「only one identity」は、似たような仲間が回りにたくさんできると「anyone identity」になって、あまり意識しなくなり、楽になる。
逆にプラスの「only one identity」は、まわりが似たようなものばかりで「anyone identity」になると、プラスが意識できなくなり、相対的にへこむ。
たとえば、田舎で神童と呼ばれていた秀才が東大来たら、プラスのidentityゆらぐ、みたいな。
そういう場合、秀才identityに固執する場合はむやみに、医師試験と司法試験に両方受かったりするのだが。
あるいは「only one identity」にマイナス感情を持っていても、価値観の変換でプラス感情になる場合もある。
蛇足であるが、性同一性障害の場合、基本的には、最初マイナスの「only one identity」であるが、医学的治療を望む場合は、典型的な男性あるいは女性に近づくことで「anyone identity」になり、あまり意識化しなくしようというのであろう。
逆にtransgenderの場合は、プラスに自己の性別のありようを捉える「only one identity」を持とうとするあり方といえるか。