[WOMEN]心と体(7)性の不一致 乗り越えて

[WOMEN]心と体(7)性の不一致 乗り越えて

 ◇第1部
 「サッカーは、自分にとっては“池”だった。なかったら干上がって死んでいた」。「なでしこジャパン」という愛称ができる前の時代のサッカー日本女子代表FW、水間百合子さん(41)は、そう思っている。現役を終えて8年後の2006年に著した「女に生まれて男で生きて」(河出書房新社)で半生をつづり、「性同一性障害だ」と告白した。
 幼い頃、男の子に交じって泥まみれで遊んだ。小学校時代から一人称は「オレ」。親や教師の「もっと女の子らしく……」という言葉に反発した。中学校では、制服のスカートをはくのが嫌で、ジャージーで通した。成長に伴う体の変化に戸惑い、心と性別が一致しない不条理に少しずつ気づいた。父親や2人の兄との関係にも様々なストレスを抱えていた日々−−。
 中学1年で、近所にできたサッカーの女子チームに入った。ドリブルから、相手DFを体当たりで吹っ飛ばしてシュート。そんな豪快なプレーを得意とした。「グラウンドでは、体の強さや激しい感情を解放し、表現できた」。否定されてきた自分の荒っぽい一面が、逆に長所とも受け止められる世界が、目の前にひらけた。
 日本代表に選ばれ、1990年10月、北京アジア大会北朝鮮戦で同点ゴールを決めて準優勝の立役者になるなど、22試合で10得点を記録した。所属クラブや代表チームで、数多くのサッカー仲間に出会ったが、「ほとんどの人が性的な差別なく接してくれた」。
 練習場やチームが少なく、働きながらプレーを続ける女子競技の不遇には苦しめられたし、大きなケガとも闘った。だが、そんな現役時代を通じて「何かを背負い、乗り越える力」がついたという手応えもある。医師の診断や手術を受ける必要は感じることなく、ありのままの自分で生きてきた。
 同様に性の不条理を抱えて悩む若者には「何かのスポーツに夢中になってほしい」と話す。そこから救いの糸口を見いだせると信じている。
   ◇
 性同一性障害に絡んでは、性別適合(性転換)手術を受ける人の増加を受けて、国際オリンピック委員会(IOC)が2004年、手術から2年間を経ることなどの条件を付けて、術後の性別での出場を認める方針を示した。特に男性から女性へ転換した場合、男性時代に受けた男性ホルモンの影響が有利に働かないかなどが議論され、適切なホルモン治療が行われていることも条件とされた。

 〈性同一性障害
 生物学的な性別と心理的な性別が一致しない状態。自己の身体に違和感や苦痛を覚え、違う性別への転換を求める。2003年に性同一性障害者性別特例法が成立し、性別適合(性転換)手術を受けた人が戸籍上の性別を変更できる道が開かれた。

 写真=1990年の北京アジア大会。韓国戦でゴール前にクロスを上げる水間さん(手前)

[読売新聞社 2012年4月12日(木)]