男女、“選択”できる時代に 性同一性障害

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男女、“選択”できる時代に 性同一性障害
産経新聞 2月20日(日)7時57分配信

【ボーダー その線を越える時】第2部(1)

 ≪男女≫

 ■“選択”できる時代に

 仕事の打ち合わせが終わった深夜、上司に性同一性障害の診断書を見せた。

 「ゆくゆくは女性に性別を変えたいと思います」

 本田技術研究所(埼玉県和光市)の秋本紗戸子(さとこ)(57)は平成12年3月、初めて社内で打ち明けた。上司は受け入れてくれたが、「周りはダメかもしれないぞ」と案じた。

 上司、同僚、部下。約3年かけて1人ずつ説明し、最後は部署を統括する常務だった。食堂前で呼び止めると、常務は「聞いていたよ」とほほ笑んだ。「これで会社で働いていける」。涙があふれた。

 施設の一角には専用ロッカーが設けられ、改名と性別適合(性転換)手術を済ませた。18年9月には性同一性障害特例法に基づいて戸籍の性別も変更。本田技研工業広報部は「ホンダには国籍、性別にかかわりなく社員を平等に扱うフィロソフィー(基本理念)がある。特別なことはしていない」と説明する。

 性同一性障害と診断された時、秋本には結婚して20年の女性(58)がいた。その後に離婚したが、今も同居する。女性は「本人が悪いわけじゃないから怒りや憎しみはない。友達同士の同居人」と話す。

 周囲の理解の中、男と女の境界を踏み越えた秋本は「自分の恵まれた環境を伝えることで社会の偏見が少しでもなくなれば」と実名を出すことに応じた。

 埼玉医科大(埼玉県毛呂山町)が国内で初めて正式な性転換手術を実施した10年以降、性同一性障害に対する認識は広まっていったが、患者が戸籍の性別変更を求めた訴訟では、敗訴が相次いでいた。

 患者や支援者の働きかけで、自民、公明など当時の与党3党のプロジェクトチームが、家庭裁判所で性別変更の審判を受けられるようにする性同一性障害特例法案をまとめ、15年に議員立法として国会に提案。衆参とも全会一致で可決・成立し、16年に施行された。

 21年度末までに1711人が同法に基づいて性別を変更した。しかし、社員の性別変更を受け入れた、ある上場企業の関係者は複雑な胸中を漏らす。

 「社員全員に理解があるとはかぎらないし、今後も同様に対応できるか分からない。当事者の職種、職場の状況次第だ」=敬称略

 ■就職 履歴書の性別欄「怖い」

 本田技術研究所(埼玉県和光市)の秋本紗戸子(さとこ)(57)は平成15年11月、女性への性別変更に向けて会社で改名手続きを行った。名前が入った社内のメールアドレスも変更され、秋本は案内メールを同僚たちに送った。すぐに63人から返信がきた。

 「紗戸子さん、おめでとう」

 秋本はこれらの返信メールを印字して会社の机の引き出しで大切に保管する。

 「私にとって宝物です」

 性同一性障害を周囲に告白するかどうか悩む当事者は多い。必ずしも秋本のように理解が得られるとはかぎらないからだ。

 ◆周囲の理解

 「仮にここで認められたとしても、これから先、変な先生を受け入れるところはないよ」

 15年、東日本の山あいにある村の夏祭り。地元小学校に勤務していた男性教諭(40)は肩の下まで髪を伸ばしていた。長髪を見とがめた教育委員会の教育長は教諭が性同一性障害と知り、不快感をあらわにした。「なぜ、採用試験の時に長い髪で受けなかったんだ。今になって伸ばすなんてズルい」

 職員数が10人に満たない小さな学校では同僚から病気への理解を得ていた。教諭はいったん髪を切ったが、性別変更への望みは強くなっていった。

 17年秋、「女性になりたい」と教委の幹部に相談すると、返答は「精神疾患として休職扱いにする。3年ぐらい休んで戸籍の性別も変えてほしい」。

 休職して見知らぬ土地に移り住んだ。スカートをはいて引っ越しのあいさつに回り、新しい人生が始まった。

 性別適合(性転換)手術と性別変更を終え、20年春に都会の養護学校に復職。一部の同僚には過去を打ち明け、受け入れられた。

 教諭は「学校は保護者と子供ありきだから、どこも私を引き受けたくなかっただろう。教委や学校がリスク覚悟で動いてくれたから、今も子供と向き合える」と感謝している。

 当事者らで作る一般社団法人「gid.jp」(東京)代表の山本蘭(53)はいう。「研究員、IT技術者など技術を生かせる仕事や公務員は受け入れられやすい。一方で就職できなかったり、職場で仕事を与えられなかったりする人も多い」

 ◆「私は孤独」

 大阪市の無職、山中あき(42)は履歴書の性別欄が怖い。名前と顔写真は女だが戸籍上は男。男に印を付けると書類選考で、女に印を付けると面接で落ちる。悩んだ末に「男・女」の「・」に印をつけた。やはり書類選考で落ちた。

 かつて食品メーカーの営業マンだった山中は男として働くことが苦痛で退社した。浴室で下半身に不安と吐き気を覚え、性同一性障害と診断された。貯金を切り崩しながらホルモン治療を進め、17年3月に改名した。

 それ以降、90社以上の求人に応募したが不採用が続いている。昨年2月に物流会社に女性として履歴書を出し、性同一性障害を伏せて採用されたこともあった。しかし−。

 採用から数日後。現場責任者と保険加入の手続きを進める際に性同一性障害を告白した。山中が「女性として生活している」と説明すると、責任者は顔をしかめた。

 「そういう人と分かっていたら採用しなかった。性別詐称なので、これです」。責任者は両手の人さし指で×印を作った。

 山中は生活保護を受けている。性転換手術と性別変更をして働きたいが、カネがない。家族とは疎遠という。「私は暗闇の中で孤独です」=敬称略

【用語解説】性同一性障害

 心と体の性別が一致しない障害で原因は解明されていない。英語の「Gender Identity Disorder」の頭文字を取り、GIDと略される。患者は1万人以上と推定され、岡山大学病院の患者への調査では自殺を考えた人の割合が約6割に達した。性同一性障害特例法に基づき、(1)婚姻していない(2)未成年の子がいない(3)性別適合(性転換)手術を受けている−などの要件を満たせば、家裁で戸籍の性別変更の審判を受けられる。

 医療技術の進歩と法整備で、先天的であったはずの性別は今や、選択すらできる時代になったが、十分な診察もなく安易な手術が行われるなど看過できない事態も起きている。「男」と「女」という概念が溶解する中、両者の境界をめぐる性の現状を報告する。

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