ルポ2011 性転換 やっと男になれる 海渡り覚悟の手術

ルポ2011 性転換 やっと男になれる 海渡り覚悟の手術


 性別適合手術(性転換手術)を受ける人が増えている。性同一性障害への理解が進み、性別変更を認める法律が整備されたことが背景にあるが、「本当の性」を求める患者の多くは国内ではなく、タイの病院へ向かうという。現地で、そんな1人の若者と出会った。(田原徳容)
 7月26日午後1時前。バンコク郊外、ヤンヒー病院の手術台に、田辺麻衣さん(21)は横たわっていた。
 初めてで、ひとりぼっちの海外。不安からか体は熱っぽく、血圧の最高値は150を超えている。「大丈夫。俺はそこらへんの男に負けない『男』になるんだ」。自分を繰り返し叱咤(しった)した。乳腺と子宮、卵巣の摘出手術を受け、5時間後には女性の機能を失う。「ようやく……」。感慨に浸る間もなく、麻酔で意識が飛んだ。
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 幼い頃から、近所の男の子とサッカーやヒーローごっこで遊び、ままごとには見向きもしなかった。「なぜ男じゃないのか」。成長とともに、違和感が募った。
 転機は中学生の時。性同一性障害の女子中学生が「自分は男」と告白するテレビドラマのシーンに、頭を殴られたような衝撃を受けた。セーラー服が嫌でジャージーで登校し、「追っかけ」の女子がなぜか大勢いる自分という存在を、その時、初めて理解した。
 高校では、女の子と交際し、バイクを乗り回して殊更に男として振る舞った。だが彼女には結局、「普通に恋愛して結婚して子供を産みたい」とふられた。
 「どう生きれば……」。悩んだ末、母に告げた。「手術して男になりたい」。娘の悩みに薄々気づいていた母は、ただ一言、「味方よ」と言ってくれた。
 両親から手術を許されたのは、20歳の誕生日。新たな名は、男の子が生まれた時にと両親が用意していたという「拓也」に決めた。
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 年間延べ700人に性別適合手術を手がける同病院。手術費用は渡航費を含めても日本の半額以下の60〜90万円で、患者の半数以上は日本人だ。日本にはこの分野の手術が可能な医療機関が数か所しかなく、時に2年も待たされるが、性転換に寛容なタイには早く、安く、安全に手術できる医療機関が桁違いに多いという。
 田辺さんもそんな評判を聞き、同病院を選んだ。高校生の時に手術を知り、費用をためてきた。「手術なしに男になれたら」と願ったこともあるが、「手術して姿形も男にならないと、まともな人間として生きられない」との思いが、それ以上に強かった。「もう後戻りできないよ」。手術前、医師に念押しされても、全くためらいはなかった。
 下半身に冷たい水が広がっていくような痛みで、田辺さんが目覚めたのは、7月26日午後7時。手術はもう、終わっていた。
 「手術後に読んで」と、母から渡された手紙があった。封を開け、読んだ。
 〈やっと、やっと、おまえが男になれるね。おめでとう。タクヤへ〉
 「男と認められた」。ただただ、うれしかった。
 8月初めに帰国して仕事に復帰し、戸籍の性別変更を申し立てる準備を始めている。交際相手の女性とも、いずれ結婚するつもりだ。
 自分が置かれた状況を、周囲に全てオープンにするのは不安だ。「キワモノ」扱いされる懸念も、消えていない。それでも「後悔のない人生を歩みますよ」。声に少し、野太さが増していた。
 ◆戸籍変更 法施行後2200人 患者1万5000人と推定
 2004年施行の「性同一性障害者性別特例法」は、戸籍の性別変更を認める条件として▽専門医2人以上による障害認定▽生殖機能消失▽20歳以上▽現在結婚していない▽未成年の子がいない−−の要件を満たした上で、家庭裁判所の審判を受けることを定める。
 最高裁によると、法施行後の変更者は昨年末現在、計約2200人で、ここ5年で2・5倍に増加。生殖機能消失には手術が必要なため、手術を受けた人も増えたことになる。法整備に携わった精神科医の針間克己医師は、障害を抱える患者は国内に約1万5000人と推定、「障害への社会的認知が高まり、今後も変更が増える」とみる。
 だが、課題は多い。文部科学省は昨年、患者の児童生徒への相談徹底を各学校に求めたが、現場では混乱が続いているとされる。また海外での手術は帰国後の術後管理が難しく、合併症の危険もつきまとう。針間医師は「性別変更は重い決断。熟考を重ね、周囲の理解を得るプロセスを大事にすべきだ」と話す。

 〈性同一性障害
 肉体的な性と、脳が認識する心の性が一致しない医学的疾患。世界保健機関(WHO)や米国精神医学会が診断基準を定めているが、原因は解明されていない。米国では、「体が男性で心が女性」は約3万人に1人、「体が女性で心が男性」は約10〜15万人に1人との研究報告がある。

 写真=手術を終え、笑顔を見せる田辺さん(7月27日、タイ・バンコクのヤンヒー病院で)

[読売新聞社 2011年8月22日(月)]