メンタルクリニックにおける性同一性障害診療の実際:非定型例の診断・鑑別・治療をめぐって

精神医学 53巻8号:749-753,2011
http://www.igaku-shoin.co.jp/journalDetail.do?journal=33958
メンタルクリニックにおける性同一性障害診療の実際:非定型例の診断・鑑別・治療をめぐって

針間克己

KEY WORDS:TRANSSEXUAL,TRANSGENDER,GENDER IDENTITY DISORDER, PARIVATE MENTAL CLINIC


はじめに
筆者は2008年4月東京都千代田区メンタルクリニックを開業した。2011年3月までに2500名ほどの新患患者を診療したが、その大多数は性別違和を主訴とするものである。また、2010年には性同一性障害特例法1)2)に基づく戸籍の性別変更のための診断書を筆者が111通作成したが、これは、日本全体で戸籍変更された527名(最高裁判所に筆者が問い合わせて回答を得た速報値)のうちの、21%を占めている。しかしながら、実際の臨床では、性別違和を主訴に来院しても、戸籍の性別変更に至るような典型例ばかりではない。本稿では、大学病院のジェンダークリニックとは異なる、民間のメンタルクリニックとしての筆者のクリニックの特徴を記し、その後、非定型例を中心に、その診断・鑑別・治療について論じる。


クリニックの特徴
筆者はクリニック開設時より、性同一性障害を主たる対象疾患として想定していた。そのため、性同一性障害治療に適すると筆者が考えるいくつかの特徴を有する。以下に説明する。
(1)立地
性同一性障害を診療する医療機関は少ないこともあり、患者は広範な地域から来院する。そのため、交通の利便性を第一に考え、クリニックの場所を選定した。実際には関東はもとより、北海道、東北、東海地方からも来院患者は少なくない。また、性同一性障害の診療に対しては、ややもすると、後ろめたい否定的なイメージを持つ者もいるため、あえて道路に面した一階のガラス張りの日当たり良い場所にクリニックを開設した。
(2)設備
診療で必要な内容を考慮し、診察室、カウンセリング室、処置室の3部屋を用意した。男女どちらの性別のトイレに入るかという問題を回避するため、トイレはあえて一つとした。また、診察の前に化粧を整えたいと考えるMTFもいるため、大きな鏡のある化粧室を用意した。待合室の書棚には、性同一性障害に関する書籍や漫画を備えている。
(3)スタッフ
 性同一性障害の診療は精神科においても、様々な内容を含むため、精神科医単独で行うことは困難であり、パラメディカルと協力しながらのチーム医療であたることが望ましい。
詳細な自分史の聴取、心理検査、カウンセリング、意見書の作成などは臨床心理士と共に行っている。ホルモン値の測定や染色体検査、ホルモン療法の副作用のチェックなどで採血をする機会は多く、看護師の果たす役割も大きい。改名用の診断書、戸籍の性別変更の診断書、意見書、他の医療機関への紹介状・返事、など性同一性障害診療では多くの文書が発生する。この文書の発行・管理にあたっては医療事務によるチェック・準備に助けられている。性同一性障害の患者は、これまでに偏見や無理解などから、他の医療機関によって不快な体験を持つ者も多い。性同一性障害に十分な理解を持つスタッフをそろえることにより、性同一性障害の患者に嫌な思いをさせず、よりよい医療が行えるようにこころがけている。
(4)電子カルテ
 電子カルテの使用により、診察室、カウンセリング室、処置室、受付と4か所に分かれたスタッフが同時に情報を共有できるようになっている。また、診断書、意見書などの各種書類は、テンプレートの使用により、短時間で効率よく作成している。このことで、事務的煩雑さを最小限にし、本来の医療行為に十分な時間がとれるようにしている。
(5)まとめ
 施設、電子カルテといったハード面と、専門のスタッフによるチーム医療というソフト面をともに性同一性障害診療に適したものとなるように、筆者のクリニックはつくられている。その結果、性同一性障害への診療が非常にやりやすい医療環境が整っていると筆者は感じている。


来院患者の特徴
筆者は大学病院ジェンダークリニックでの勤務経験はなく、性同一性障害の診療はもっぱらメンタルクリニックで行ってきた。そのため、筆者の臨床経験から、大学病院とメンタルクリニックにおける来院患者の臨床像の違いを論ずるのは困難である。また、大学病院の臨床統計に関する文献はこれまでいくつか見てきたが、統計データで現れる臨床像に際立った違いは感じられない。それゆえ、客観的事実に基づくというよりも、筆者の主観に基づくものにならざるを得ないが、当院来院患者の臨床的特徴を、当院の特徴を踏まえて記すことにする。
(1)性別違和が軽くても来院する
大学病院のジェンダークリニックは、少ない診療枠に多数の受診希望者が集中するため、
新たに受診希望をしても、診察を受けられるまで数カ月から半年待つといわれている。そのため、それだけの期間を待ってでも、受診したいというものが実際の受診者となる。筆者のメンタルクリニックでは、比較的速やかに、受診が可能である。そのために、熟考なく受診を思いついて、そのまますぐに受診する場合もある。結果的に、必ずしも性別違和が強くなくても、受診する者もいる。
(2) 速やかな身体治療を望む者が来院する
性同一性障害では、その基本的特徴として、反対の性別への身体を獲得することを望む。それゆえに、ホルモン療法や手術といった身体治療を望むことが多い。しかし、大学病院では、治療の順番待ちなどの問題もあり、身体治療が開始されるまでに、数年待ちなどのことがある。筆者のクリニックでは、身体治療を行う民間のクリニックと協力関係を持ち、治療を依頼している。このクリニックでは、比較的迅速に手続が進み、手術の待ち期間も数カ月以内である。そのため、大学病院受診者と比して、より迅速な身体治療の開始を望んで受診する者も多い。
(3) 精神療法を求めて受診する者もいる。
上述したこととは逆に、身体治療はすぐには望まず、精神療法を求めて来院する者もいる。誤解ではあるのだが、「大学病院では体の治療を求める人が対象だと思って」と訴え、「クリニックでなら、自分のような体の治療を考えてない人でも、いろいろ話を聞いてもらえるかと思い」と言い、受診するのである。 
(4) ガイドラインから逸れた治療をすでに受けている者が受診する。
日本精神神経学会は、性同一性障害の診断と治療に関するガイドラインを策定している3)。このガイドラインは身体治療を行うための条件を設定している。実際には、ガイドラインに沿わない形で、ホルモン療法を行っていたり、乳房切除術や精巣摘出術といった外科手術を受けている者もいる。彼らが診断書を望んだり、その後の治療はガイドラインに乗った形で受けたいと思った場合に、筆者のクリニックを受診する。これも誤解ではあるのだが、「ガイドラインに外れた治療を受けていた自分は、大学病院では見てもらえないのでは」と考えて、筆者のクリニックに来院するのである。
(5)平日の日中に仕事をしている者が受診する。
 筆者のクリニックでは、平日は19時まで、土曜日は17時まで診療を行っている。そのため、平日の日中に仕事をしている者が、仕事を休むことなく、平日の17時以降や、土曜日には、受診する。彼らの大半は会社勤めであり、性別違和があっても、職場では戸籍上の性別で働いているものが多い。
(6) まとめ
筆者のクリニックは、予約、診療時間、立地等の条件から、大学病院と比較して、受診の敷居は高くなく、結果として、来院動機、治療経過、臨床的特徴、生活環境などが多様なものが来院する。


鑑別すべきセクシュアリティや疾患
上述したように、筆者のクリニックには、性別違和を訴えて多様なものが来院する。それらすべての者が、性同一性障害と診断されるわけではない4)。ここでは、鑑別すべきセクシュアリティや疾患などのいくつかについて記す。
(1)同性愛
 同性愛とは、自分と同じ性別の者に性的魅力を感じることである。たとえば、女性が女性に恋愛感情を持つ。これは同性愛なのだが、「女性が好きだということは、自分の心は男性では」などと思い、性同一性障害ではないかと訴え、医療機関を受診するものがいる。この場合、恋愛のことを抜きにすれば、自分自身の身体、性役割などには、違和感を強くは持っていない。そのことを確認することで、性同一性障害との違いは明確になる。しかしながら「内面化したホモフォビア」すなわち、自分自身が同性愛であることに嫌悪感を持っている場合には、「女性を好きな自分はレズビアンなのか。女同士で歩けばまわりの目が気になる。ホルモンで見た目が男性になれば、そういう目も気にならない」などと考え、自分を性同一性障害だと思いこもうとする者もいる。また、性同一性障害者は一定の要件を満たせば、戸籍の性別が変えられるため、「彼女と結婚したいので、男性になりたい」などと考える者もいる。こういったものたちは、同性愛であることは認めようとはなかなかしない。
(2)異性装
「女装すると興奮してマスターベーションする」のように、性的興奮を目的として、女装するものや、コスプレのように楽しみ、気晴らしを目的として異性装をするものもいる。彼らの場合、自分自身の身体や、普段の性役割に関しては、強い違和感はない。ただ、「女装した時により一層女性らしくなりたいから」といった目的で、女性ホルモン投与を希望したりするものなどもいる。女装者が女性ホルモン剤を使用する場合には、インターネットで個人輸入される場合が多いが、医療機関での処方や注射を受けるために、性同一性障害と称して受診することがある。彼らの場合、異性装をしない日常においての違和感の有無を具体的に聞いていく必要がある。日常における性別違和がさほど強くなければ、性同一性障害とは診断されない。ただ、過去において、性的興奮を目的に異性装していたものも、その後。性別違和感が強まり、性別移行を望む場合もある。受診時に性別違和が持続的にあれば、過去の異性装の目的が性的興奮だったとしても、性同一性障害と診断される。
(3)性分化疾患
 性別違和を訴えるものの中には、性染色体異常や性ホルモン異常が隠されている場合もある。そのため、性同一性障害の確定診断のためには、精神医学的問診だけでなく、血液検査で染色体や性ホルモン値を測定すると共に、泌尿器や婦人科での身体的診断も必須である。
(4)統合失調症
 統合失調症の症状として性別違和を訴える者もいる。「お前は女だ、という声が聞こえるんです」といった幻聴や、「自分が実は女性だから、自分のまわりの男性が自分に対して性的興奮をする」といった妄想を訴える場合は、診断は比較的容易である。しかし、最近では性同一性障害が広く知られてきたがゆえに、明らかな幻覚妄想を呈する前の、前駆期にみられる症状、すなわち漠然とした不安感や、周囲との違和感といった症状を、患者が性別の問題だと解釈し、性同一性障害として訴えてくる場合も見られる。こういった訴えの場合、直ちに性同一性障害統合失調症かを鑑別していくのは容易なことではない。筆者は、性別違和の訴え方になにか奇妙な印象を受ける場合には、確定診断は留保し、長期的な経過を見ていくようにしている。
(5) 発達障害
 広汎性発達障害をはじめとする発達障害も鑑別として留意すべきである。広汎性発達障害でみられる、アイデンティティ混乱のひとつとして、ジェンダーアイデンティティも混乱することがある。また全般的な対人コミュニケーションがうまくいかないことを、本人は「男性たちとはうまくやっていけない」などと性別違和としてとらえていることがある。また、こだわりの強さが、性器嫌悪や性転換願望としてあらわれることもある。こういった広汎性発達障害の症状のいくつかを、本人は性同一性障害の症状として捉えていることがある。
(5) FTX、MTX
FTMMTF性同一性障害者の性別を表す略語でそれぞれfemale to male (女性から男性へ性別を移行)、male to female(男性から女性へ性別を移行)を意味する。最近ではFTX、MTXと呼ばれるものたちもいる。FTXはfemale to Xの略語であり、身体的には女性であるが、女性としてのジェンダーアイデンティティは有さず、かといって、男性としてのアイデンティティや男性になりたいという願望ももたない。臨床的には、「男性になりたいわけではないが、女性として見られるのもいやなので、乳房だけ取りたい」と訴え、受診する者が多い。MTXはmale to Xの略語であり、身体的には男性であるが、男性としてのジェンダーアイデンティティは有さず、かといって、女性としてのアイデンティティや女性になりたいという願望ももたない。臨床的には、「女性になりたいわけではないが、男性的な体であるのもいやなので、睾丸だけ取りたい」と訴え、受診する者が多い。


治療の原則
ここまで記したように、性別違和をもつものでも、性同一性障害ではない疾患やセクシュアリティを抱えていたり、性同一性障害であっても典型的ではない臨床症状・経過をもつものなど、多様なものがクリニックには来院する。その治療は、個々において異なるものであるが、原則的な事がらをいくつか記す。
(1) 受容的に訴えを聞く
 性同一性障害治療における精神科医の役割は、ともすれば、ホルモン療法や性別適合手術といった身体治療に進む前段階としての、その治療の適応の有無の判定者となりがちである。そのため、診断基準を満たさない者や、身体治療の適応基準を満たさない者に対して、「あなたは身体治療には進めません」と直ちに治療を閉ざすということをしかねない。
しかし、それでは、受診者の問題は何も解決しない。身体治療の適応の有無の判断は、精神科医の役割の一つにすぎない。まずは、受容的に患者の訴えに耳を傾ける、という精神科医の基本的態度が必須である。
(2) 性別違和の軽減方法をともに考える
受容的に訴えを聞いた後は、問題解決の方法を考える。性別違和の軽減は、もっぱら身体治療によってのみなされるという考えは誤りである。特に非典型的な例においては、さまざまな要因で性別違和を感じたり、より強く感じたりしていて、その要因への対処で、性別違和の軽減を図ることができる。たとえば、他の疾患がある場合には、その治療を行う。パートナーとの関係性に問題があるときは、パートナーシップの改善を図る。職場や学校や家庭など周囲の無理解により、性別違和が強まっている場合には、周囲の理解が得られるように働きかけていく。このように要因に応じて異なる、性別違和の軽減方法をともに考えていくことも有用である。
(3) RLEを試み、適応を見ていく
 性別違和を持つ者は、身体治療を行うことで万事全てが解決すると、過剰な期待を持つ者もいる。特に非定型例においては、精神科医からみれば、身体治療が問題解決に必ずしも結び付かないのでは、と危惧されるケースも多い。このような事もあり、身体治療の前提としては、RLEは必須である。RLEとはreal life experience(実生活経験)の略語であり、望みの性別で実際に生活してみることを言う。性転換願望があるものが、実際に望みの性別での生活を試すことにより、本当にその性別で生きていくのが苦悩の軽減とQOLの向上に役立つのかが明らかになる。非定形例においては、RLEをすることで、逆に苦悩が深まると感じ、もともとの性別で生きていくことを選んだり、性別にとらわれない生き方を模索したりする場合もある。


おわりに
筆者の経験に基づき、非定型例を中心にメンタルクリニックにおける性同一性障害の実際を記した。性別違和を訴え受診する者の臨床像は多様化し、受診者数も増加している現在、大学病院だけでの対応は困難となっていると思われる。クリニックと大学病院が相互補完関係を持ち、よりよい日本の性同一性障害診療システムが構築されることを望む。


文献
1)針間克己,大島俊之,野宮亜紀:性同一性障害と戸籍.緑風出版,東京,2007
2)南野知惠子:[解説]性同一性障害者性別取扱特別法.日本加除出版,東京,2004
3)http://www.jspn.or.jp/ktj/ktj_k/gid_guideline/gid_guideline_no3.html
4)針間克己:自称性同一性障害と本物をどう見分けるか. 精神科, 18(3):326-329,2011