境界を生きる:続・性分化疾患/3 成人後、女性化「パパは女?」

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境界を生きる:続・性分化疾患/3 成人後、女性化「パパは女?」
 ◇揺れる性別、「どう生きるか」模索
 「お父さん、本当は女なんでしょ?」。小学4年生の一人娘が無邪気に聞いてくる。感覚的に分かるのか。これ以上「パパ役」を演じ続けるのは無理なのだろうか。

 神奈川県に住むエンジニア(44)は6年前、思いがけず自分の疾患を知った。学生時代の持ち物を取りに実家に戻った日のこと。子どもができて自分自身が未熟児だったと思い出し、母に何気なく聞いてみた。「母子手帳、まだある?」

 母はうつむき「小さな体にメスを入れていいのか、すごく悩んだんだけど……」と小声で話し始めた。出産直後、医師に「お子さんには男女両方の特徴がある。どちらにもできますよ」と言われたという。「男がもてはやされる時代だったから、男の子にしてもらったの。女の子のほうが良かった?」。母子手帳は出てこず、母に促され実家を出た。

 暗い帰り道、涙をこらえきれず、川辺に長い間座り込んだ。

 思い当たることはいくつもあった。10代のころは筋肉質のスポーツマンだったのに、20歳過ぎから柔らかな体つきになった。性交渉は嫌いで、職場結婚した妻(39)とは子どもを作ろうとした時だけ。30代半ばからは胸が膨らんできた。「不思議な現象のかけらが一つにつながり、パズルが完成したようだった」が、喜べるはずもなかった。

 その日から周囲が違って見えるようになった。容姿、仕草、心。誰もが「男らしさ」「女らしさ」で輝いている。「こんな中間の人間は自分だけだ」と孤独感に襲われた。

 どんな疾患で、どんな手術を受けたのか。生まれた病院を訪ねても記録は残っていなかった。検査を受け、染色体が男性型であることは分かった。それ以上知るのは怖かった。

 救いは、妻があっさり受け入れてくれたことだった。「大丈夫。結婚前から男半分、女半分の人だと思っていたから」。自分は以前から家事が好きで、家族を引っ張るのは苦手。専業主婦の妻は冗談めかして「私が働こうか」と笑った。

 女性化が進んだためか、腕力が衰え、体が覚え込んでいた力仕事が難しくなってきた。迷惑をかけぬよう同僚には事情を説明し、理解してもらっている。

 女性的と言われるのが嫌だったのに、最近は「これは個性だ」と前向きにとらえている自分に気付く。「今の気持ちは男性と女性が半々。自分でも戸惑うことは多いけれど、本心を押し殺さず堂々と生きることが、いつか同じような人たちの力になると信じたい」

     *

 心の性別もはっきりしないことがある性分化疾患。男女に二分された社会の中で、悩み、迷いながら自分を見つける人たちがいる。

 「自分がえたいの知れないもののような気がした」。東京都の田中彩さん(24)は男の子であることに小学2年生のころから違和感があった。中学に入ると胸が膨らんだ。うれしさの一方、男を演じるつらさが募った。

 大学に入り、初めてメンタルクリニックを受診した。診断は心と体の性別が一致しない性同一性障害。さらに、男性的な発達が不十分で胸が膨らむこともある性分化疾患「クラインフェルター症候群」とも分かった。医師に「あなたは女性的な体なんだよ」と言われ、背負っていたものを下ろした思いがした。

 しかし、当事者の集いに参加しても、同じ診断を受けた人は見つからない。「どう生きていけばいいのか」。女性として暮らす決意をしたが、両親の理解は得られず、仕事のストレスも重なりうつ病になった。

 一度は職を失ったものの、今年9月、服飾関係の企業に障害者雇用枠で再就職を果たした。「男と女、どちらでもない中間から少しずつ女性の体に近づいていけるといい。生まれてきたからには、一生懸命生きる」【丹野恒一、五味香織】=つづく

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毎日新聞 2010年11月3日 東京朝刊