境界を生きる:続・性分化疾患/1 手術3回、心と離れる体

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2010/11/01/20101101ddm013100024000c.html
境界を生きる:続・性分化疾患/1 手術3回、心と離れる体
 ◇本心、母に隠し続け/悩みに応える専門家必要
 深夜、井端美奈子・大阪府立大准教授(母性看護学)の携帯電話に性分化疾患の若者たちからメールが届く。

 <診察室では言えませんでした。今から電話していいですか>

 染色体やホルモンの異常で男女の区別が不明確な性分化疾患は、思春期のメンタルケアが不可欠だ。家族も含めた支援を始めて3年。電話は時に2時間にも及ぶ。

 今年最も心配したのは先天性副腎過形成の10代の少女だった。出生時に外性器が男性化していて手術を受けた。中学生になっても月経がないことなどを悩み、不登校に。その後彼氏ができて体が女性的でないと指摘されたのが心の傷となり、乳児期の手術を隠していた親へのうらみも重なってリストカットを繰り返していた。

 悩みを知った井端さんは泌尿器科医に伝え、不完全な外性器をさらに女性らしくする手術が実施された。少女からその後届いたメールには、こうあった。<やっと普通の女性と同じスタートラインに立てました>

 井端さんは「しっかり悩みを受け止められる専門家をもっと養成しなければ」と話す。親にも言えず悩みを抱えこんでいる若い患者は少なくない。

     *

 中国地方のグループホームで働くあかねさん(21)=仮名=には幼いころから「飲まないと死んでしまう」と言われてきた薬がある。親に隠れて服用をやめたのは高校に入ったころ。「これで死ねると思った。手首を切る勇気はなかったから」

 あかねさんも生後間もなく先天性副腎過形成と診断された。1歳半と6歳で性器を女性化する手術を受け、ホルモンの分泌を調節する薬で男性化を抑えてきた。しかし中学2年のとき、女の子を好きになって悩み始めた。女子トイレに入るたびに、罪を犯しているような感覚に襲われた。

 そのころまだ、母栄子さん(54)=同=はわが子の本心に気づいていなかった。

 不妊治療がうまくいかず、結婚7年目にようやく授かった命。胸に抱いて感謝の気持ちに包まれたのもつかの間、別室に連れて行かれた。「女の子ですか?」と尋ねても「後で分かります」としか言われなかった。

 病気の説明を受けた栄子さんは医師に「早めなら小さな手術で済む」と勧められ、従った。だがあかねさんの心は成長とともに、選んだ治療とは反対の性へ向かった。

 最後の手術は高校3年の夏休み。前回に形成した膣(ちつ)を広げた。あかねさんは「無理やり女にされてしまえばあきらめがつく」とも思ったが、手術後、体と心の痛みで涙が止まらなかった。

 そして昨夏、ささいな親子げんかがきっかけで、泣きながら告白した。「一生言わないつもりだったけど……」。今から男になりたいと言えば、母が苦しむと思ってきた。その思いを知った栄子さんは現実から逃げない覚悟を決めた。

 心と体の性別が一致しない性同一性障害の医療で有名な岡山大を受診した。医師に「(女性化手術を)なぜ嫌だって言わなかったの?」と言われ、あかねさんは返す言葉がなかった。

 男性として生きることを目指し、わが子が新たな治療に踏み出した日。栄子さんはブログに思いをつづった。

 <私は産んだときからずっと幸せ。だから、生まれたときからあなたも幸せになってもらいたくてね。つらいことにも意味がある。あなたのものさしで幸せになってほしい>【丹野恒一】=つづく

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 ◇先天性副腎過形成
 男性ホルモンが過剰に分泌する疾患で、約1万8000人に1人の割合で起きるとされる。女性として生まれた場合、性器が男性化したり、性格が男っぽくなる人もいる。海外では女性として生きている人の約5%が性別への違和感を持っているとの研究報告もある。

毎日新聞 2010年11月1日 東京朝刊