境界を生きる:子どもの性同一性障害 読者の反響特集

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境界を生きる:子どもの性同一性障害 読者の反響特集
 心と体の性別が一致せず、時に大人以上の苦しみを抱えながらもさまざまなケアが置き去りにされている性同一性障害GID)の子どもたち。医療、教育現場などの課題を取り上げた連載「境界を生きる〜子どもの性同一性障害」(6月13〜17日)に、当事者や家族を含め多くの反響をいただきました。記者が訪ねて聞いた思いを紹介しながら、改めて深刻な現実を考えます。【丹野恒一、五味香織】

 ◇生きていてほしかった 自殺の我が子、心追う母
 「親として、あの子を救えなかったことはこれからも悔やむと思います」。福岡県に住む都さん(44)からのメールには、我が子が自ら命を絶った悲しみがつづられていた。「私が話すことで役に立てるなら」と取材に応じてくれた。

 早朝、刑事からの電話があったのは09年11月だった。21歳だったあゆみさんが東京都内で練炭自殺したとの知らせに、頭が真っ白になった。

 あゆみさんは地元の高校を卒業後、夢だった自衛官になった。翌08年春、休暇で帰省中、両親に告白した。自分がGIDだということ。治療を受けようと思っていること。

 子どものころから男の子のように活発で、中学校の入学時は男子生徒の制服を着たがった。でも高校時代には「子どもは2人ほしいな」とも口にした。母として花嫁姿や孫を抱く日を夢見ていた。

 告白から数カ月間はけんかの繰り返し。都さんは「何のために育ててきたのか」と口走ったこともある。女子寮生活が苦しかったのか、あゆみさんは次第に勤務もままならなくなった。電話で「寮の8階にいる。飛び降りてもいい?」と言われ、必死に訴えた。「帰って来なさい」。受け入れるしかないと覚悟した。

 昨春、あゆみさんは依願退職した。専門医の正式な診断を待ちきれず、独自にホルモン治療を始めた。胸の手術を済ませ、9月には東京で暮らすため実家を出た。母が我が子を見る最後になった。

 自殺した車中には「ママへ」と書かれた遺書があった。「こんな体で生まれたけど、ママの子で生まれたこと、誇りです」「心配せんでいいよ。やっと笑顔になれるから」。最後に二人で撮ったプリクラが張られていた。

 都さんは日記やブログから最後の日々をたどった。耐え難い孤独と自分の存在そのものへの葛藤(かっとう)で埋め尽くされていた。<こんな化け物、誰が好き好んで近づくよ/抗(あらが)えない、見えない何か。そんなものにいいように操られて……悔しいよ/なんでおれが死ななきゃいけない!?>。悲鳴のような言葉が続く。

 最後のページには、大きな文字で<我が人生に一片の悔い無し>とあった。「本当はもっと生きたかったんじゃないの? どんな姿でもいい、生きていてほしかった……」

 あゆみさんの足跡を追い続けるうちに、都さんはインターネットで同世代の女性と知り合った。19歳の子がGIDに悩んでいるが親として受け入れられず、治療の同意書へのサインを拒否している。子どもは今年6月末、勤め先を退職したという。

 かつての自分たちと重なった。都さんは女性に伝えた。「(死んでしまったら)帰ってこないんだよ」。同じ悲しみに直面する前に、子どもを支えてほしいと切に思う。

 「男と女しかいないという価値観ではなく、あゆみのような人たちが少しでも生きやすい世の中になってほしい」。自宅にはあゆみさんの笑顔の写真が何枚も飾られている。

 ◇偏見に負けない勇気を
 連載では、体が男性であることへの違和感をぬぐえず、女性ホルモン剤個人輸入して危うい自己流治療を続ける子どもたちの存在も紹介した。「ひとごととは思えなかった」とメールを寄せた四国在住の専門学校生(18)はこう書いていた。「副作用は承知の上で、私も飲んでいます」

 幼稚園のころから「体が自分のものじゃないような感覚」に悩まされてきたという。鏡は極力見ないように、そして思い詰めないようにと心掛けてきたが、高2の夏、強い倦怠(けんたい)感に襲われ、ついに自分の部屋からもほとんど出られなくなった。母親と心療内科に行ったが性別への悩みは打ち明けられず、医師には「思春期にはよくある症状」としか言ってもらえなかった。

 どうにか3年に進級できたが、すっかり男っぽくなった体が我慢できず、ホルモン剤の輸入を決心した。その時頭に浮かんだのは、子どものころから両親に何度も言い聞かされてきた言葉。「あなたは長男なんだから、家を継ぐ孫の顔を拝ませてね」。継続的に服用すると精巣の機能が永遠に失われる恐れがあると知っていたので「申し訳ない気持ちでいっぱいだった」。

 それから約1年。骨格は変わらないが、肌はきめ細かくなり、走ると揺れて痛むほどに胸も膨らんできた。家族も同級生もまだ気付いておらず、男性として暮らしている。「ホルモン剤の服用開始が遅かったので、風ぼうはあまり変わっていません。今のままで女性として生き始めても、性的倒錯者としか思われない。それを覚悟して意志を貫く勇気はまだありません」

 いずれは女性化する手術も受けたいが、それですべてが解決できるとは思っていないという。「社会は私たちのような存在を容易には受け入れないはず。それでも生き抜いていけるよう、精神的にもっと強くなりたい」。そう言って、唇をかんだ。

 ◇身近な存在と知って
 自殺未遂を繰り返しているという首都圏の大学生(21)からも、メールが届いた。

 「どう願っても男の体になれない」との失望感が中学時代から続く。大学の入学式では女性用スーツを着るのがつらく、母親(42)に「女に生まれたくなかった」と訴えた。「そんなことで悩んでどうするの」と突き放され、部屋のドアノブにひもをかけて首をつったが、死にきれなかった。

 「今までの生き方で死にたくなるなら、思うように生きてみよう」と治療を決意し、専門医に通い始めた。昨夏、ホルモン治療を開始する見通しが立った。ところが両親は猛反対した。「何のために男になるのか。我慢できないのか」。当事者の手記を渡しても読んでもらえなかった。

 医師は「治療には親の了解が必要」という。うつ状態で今春からほとんど外出できなくなり、大学も休学している。毎日のように腹や腕をカミソリで傷つけてしまう。「自分の存在という罪への罰」。傷が薄くなると「罪」が消えるようで、またカミソリを手にする。「一日一日を生きることが精いっぱい。苦しみから解き放たれるには、やはり死しかないと思ってしまう」

 アルバイトの仲間たちがGIDのことを話題にしていた。一人が「そんな人、本当にいるのかな」と言った。心の中で答えた。「ここにいるよ」。身近な存在であることを知ってほしいという。

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 ◆二度と会えない故郷の友

 女子として通った高校までは、苦痛や困難の連続でした。治療で新しい自分になりたかったので、出身地と離れた大学を選びました。高校を卒業する時、地元の友人とは二度と会えないと考え、アドレスをすべて消しました。男性に変わった姿で会うとすれば、GIDを告白することになる。そうなれば、築いてきた多くのものを失う気がしたからです。

 ホルモン療法で、外見上は男性的になってきました。大学では入学前から先生たちと相談を重ね、中性的な通称の使用などが認められました。GIDを公表した上で教師になり、当事者の相談に乗りたいと考えていましたが、名前や声が男性として通用するようになると、そのまま黙って過ごしたくなる弱い自分がいます。ただ男と思われたいのか、それともGIDの男だと思ってほしいのか、分からなくなっています=国立大1年(19)

 ◆我が子の応援団長

 GIDの19歳の子を持つ母親です。悩みを知ったきっかけは高校1年の時にあった泊まりがけの学校行事でした。女子生徒たちとお風呂に一緒に入るのを激しく嫌がったのです。高校は途中から定時制編入し、今春には法的に男性名への改名手続きを済ませ、専門学校に進みました。初めは「なぜ、私の子が?」と悲しみのどん底に落とされましたが、気持ちを整理していくうちに「一番つらいのはこの子だ。親なのだから理解してあげよう」と切り替えることができました。GIDの方、勇気を出して家族に話してみてください。きっと生きる道が開けます。私は我が子の一番の応援団長です=東京都、自営業手伝い、女性(52)

 ◆相談先見つからず

 1カ月半ほど前に高校生の息子から「体に悩みがある」と言われました。何となく気付いていたのですが、体は男性で心は女性のようです。悩みのせいで頭痛や吐き気がひどく、悪夢も見るといいます。市や県のあらゆる相談センターに電話しましたが「そのような内容は扱えない」との答えばかり。やっと紹介してもらった精神科でも「来年の春まで予約がいっぱい」と言われました。学校も休みがちですが、先生に打ち明けても迷惑だろうと思い、あきらめています。記事を読んで「同じように白でも黒でもない、まさに境界で苦しむ人たちがいるのだ」と知りました。独りで不安を抱えていたので、少し力強く思えましたが、今後どうしたらいいのかは分からないままです=福岡県、40代主婦

 ◆教員に人権感覚を

 GIDに関する教員への啓発や研修は確かに大切ですが、より重要なのは個別の事例や医学的な知識を得ることではなく、人権感覚を磨くことです。性別、国籍、年齢や出身で人にレッテルを張らず、人そのものを見る。そういう姿勢は同和問題、障害者差別などの人権問題をしっかり考えれば身につきます。適切な人権感覚を持つ教員が集まった学校であれば、GIDの子どもへの対応でもおのずと大筋を誤ることはないはずです=元東京都教委統括指導主事、鈴木義昭さん(54)

 ◆当事者の思い知った

 私の通う大学に健康教育論という授業があります。そこで先日、数人の学生が突然、自分がGID当事者やその家族、元恋人であることを次々と告白しました。実は心理劇なのですが、私を含む一部の学生以外は演技であることを知りません。GIDについて真剣に考え、理解を深めることが狙いです。

 事前の準備で情報を集め当事者の思いを想像しましたが、体と心の性が違うとはどういう気持ちなのか分かりませんでした。それがつかめたのは、記事の中で当事者が語っていた「僕は男ですが、性同一性障害で、体は女です」というシンプルな言葉でした。ただ自分らしくありたい。そのために命を危険にさらさなければならないなんて、つらいことだと思いました=岐阜大地域科学部3年、柴山亜美さん(20)

 ◆「金八先生」登場人物モデル、虎井まさ衛さんに聞く

 ◇みんなと同じでなくてもいい
 01年秋から放送されたテレビドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)でもテーマになった子どものGID。性別への違和感に苦しむ中学生のモデルとなった虎井まさ衛さん(46)は、GIDと診断された人の戸籍上の性別変更を求める活動などにも取り組んできた。同じ悩みを抱える子どもたちへのメッセージを聞いた。

      ◇

 「金八先生」ならばまじめに取り上げてもらえるだろうと思い、ドラマ化に協力しました。上戸彩さん演じる生徒が高い声を変えようと自分ののどにくしを刺す場面は、実際に私の知り合いがやったことです。

 現実ではドラマのような形で周囲から受け入れられることは難しいでしょう。ただ、GIDがお茶の間で広く知られたことには大きな意味がありました。放送後、児童・生徒や母親から相談を受けるようになり「こんなに潜在的な当事者がいたのか」と驚きました。

 インターネットの普及で、誰とも顔を合わせず治療方法などの情報を集められるようになりました。でも、ホルモン剤個人輸入は心配です。自己流の服用で肝機能に影響が出れば、後で手術を受けられなくなるかもしれない。先を考えて待つことも必要です。私は10歳で手術を受けようと決めてから、手術のために渡米するまで13年かかりました。時間はかかるものです。

 孤独で消えてしまいたいと思ったり「周囲が分かってくれない」と悩む人は多いと思いますが、みんなと同じでなくてもいい。自分から行動し、環境を変えていく強さを持ってみませんか。

毎日新聞 2010年7月14日 東京朝刊