思春期と性同一性障害

性同一性障害・それぞれの生き方〜思春期の若者と、それを取り巻く大人達の為に. 編集・発行 FT/MX・かながわボランティアセンター、P1-3


思春期と性同一性障害

針間克己


はじめに
人生のそれぞれのステージで、性同一性障害者はさまざまな困難を抱えますが、特に思春期は、多くの問題が生じる時期です。そのいくつかの側面を見てみることにしましょう。

1. 思春期は体が変化する時期である。
性同一性障害は、「心と体が一致しない病気」といわれます。しかし、思春期が始まるまでは、男女の違いは「おちんちんがあるかないか」くらいのことで、それすらも、普段は服を着ている限りはわかりません。
しかし、思春期が始まると、男女の体の違いははっきりしたものになります。男性はひげが生え、声変わりをし、骨格ががっしりし、ペニスが大きくなり、射精もするようになります。女性は乳房が膨らみ、体が丸みを帯び、骨盤が発育し、生理が始まります。
このように自分の体が変化していくことは、性同一性障害者にとって強い苦痛になります。そのため、自分の体を嫌悪したり、変化が進まないように無理なことをしたりすることがあります。
また自分の体の変化だけでなく、友人たちの体が男らしく、女らしく変化することは、男女の違いをはっきりと意識させられ、自分が取り残されたり、仲間から外れた気持ちとなり、これも強い苦痛となります。

2. 思春期は学校でも男女の違いがはっきりする。
 小学校生活では、男女の区別がはっきりする場面はそれほど多くはありません。しかし、中学校からは、学校生活で男女の違いがはっきりします。
 まず何といっても制服です。ほとんどのFTM(女性から男性への性同一性障害者)は、セーラー服やスカートをはくことに強い嫌悪感を持ちます。そのためジャージで通学したりして、学校から強くしかられたり、あるいは不登校になるケースも珍しくありません。
 ほかにも、列、体育、座席、部活などさまざまな場面で男女の区別があります。そのような一つ一つが性同一性障害者に苦痛で、本来は勉強やスポーツが好きな人でも、学校生活が苦痛となることが多いようです。
 高校では制服をないところを選ぶ人もいますし、また、中学や高校生活は苦痛であったが、男女差のゆるい大学生活は比較的楽しめた、という話もよく聞くところです。

3. 思春期は恋愛感情が強くなる。
 思春期は恋愛感情が強くなる時期でもあります。FTMでは多くの場合、女性を好きになります。MTF(男性から女性への性同一性障害)では半分くらいの人が、男性を好きになります。一般に異性を好きになる人が多い世の中で、そうでない場合は肩身の狭い思いをします。
「女性の自分が女性を好きになるなんておかしいんじゃないだろうか」と悩んだりします。あるいは、友達の会話で本心がばれないように、好きでもない異性を好きだといってみたり、無理して異性と付き合ったりすることもあります。
 そういった結果、友達の会話の中で疎外感を味わったり、無理に付き合うことで自己嫌悪が高まったりするのです。
 さらには、そういった自分の感情を全部押し殺そうとして、自分が自分でないような感覚へとなっていくこともあるのです。

4. 思春期はアイデンティティがまだ不確実である。
ここまで思春期の「性同一性障害」について述べましたが、最後にもうひとつ大事なことがあります。それは思春期というのはアイデンティティ、つまり「自分が何者であるか」が作られている最中であり、それは性別のアイデンティティに関しても同じということです。
 どういうことかというと、「自分の心の性別は男性だ」「自分の心の性別は女性だ」と思っていても、それが揺らいだり変わったりする可能性がまだ大きい時期だということです。
 性同一性障害でなくても、思春期に、大人の体へと変わっていく自分を受け止めきれず、自分の身体に嫌悪感をもつケースは少なくありません。
 また、ゲイ・レズビアンといった同性愛の人が、同性を好きになる自分の気持ちが十分に理解できずに、「自分は性同一性障害ではないか」と思ってしまうケースもあるようです。
 最近、性同一性障害の関する多くの報道や情報があふれた結果、ちょっとした性別違和があるだけで「自分は性同一性障害だ。治療を受けて戸籍も変えたい」と思う人が増えている印象もあります。
 思春期のアイデンティティの不安定さを考えると、早急に結論付けるのではなく、アイデンティティが固まるのをじっくり待ちたいという気もします。

おわりに
簡単ですが、思春期における性同一性障害の諸側面について述べさせていただきました。
性同一性障害にこだわらず、思春期というものを広く一般的に考えますと、今後の人生を生きていくために、心身を鍛え、勉学に励み、友人関係をはぐくむ、とても大事な時期です。
もし、性同一性障害があるというそれだけの理由で、この大切な思春期を十分に生きていくことができないとしたら、それはとても不幸なことです。
 たとえ性同一性障害があろうと、周囲の理解を得て、この大切な時期を充実して過ごし、その後の豊かな人生へとつながっていくことを希望してやみません。