「薔薇の微笑」と「サイコ」

われながらしつこいが。
あとから気がつくこともあるので。


ドラマ、「薔薇の微笑」には異性装するものが二人出た。
ひとりは男装するエンクミである。
テレビでは男装の理由がわかりにくいが、原作によれば、殺人犯の容疑者なので、ばれないように、男装しているのである。


もうひとりは、浅野温子である。
新聞の、ドラマの予告記事では「男装に挑戦」のようなことが書いてあったので、てっきり、性別移行前の男性時代回想シーンで、男装すると思っていた。
ところが、男装するのは、エンクミを殺そうと、ナイフを振り回すシーンだった。
ばれないように、という意味での男装かもしれないけれど、実際問題として、このシーンで、男装する必然性は乏しい。


で、どうして男装したのか考えているうちに、わかった。
これまでは、もっぱら、「羊たちの沈黙」との対比で考えていたが、服装倒錯者の連続殺人鬼といえば、もっと古典的なやつがあった。
それは、ヒッチコックの「サイコ」である。
「サイコ」では連続殺人鬼のおっさんは、殺すときは、母親の姿に女装して、ナイフを振り回す。
で、このシーンの流れを汲んで、浅野温子の殺人シーンがあるわけだ。


すなわち、「サイコ」「羊たちの沈黙」といった、「サイコパスな服装倒錯者」という流れの延長上にこのドラマはあるわけである。
しかし、単に女装しての殺人は、マンネリなので、
男から女に性転換→それがさらに男装
と、まるでシェークスピア劇のように2重に異性装をすることで、斬新さを出しているわけだ。
さらにトランスベスタイトも手垢がついているので、現代風に「性同一性障害」にしただけのことである。


というわけで、このドラマに出てくる異性装するものは、逃げ回る殺人容疑者と、連続殺人鬼であり、「男か女かわからんやつは怪しい人物」「クレイジーサイコパスな服装倒錯者」と、まことに伝統的な描き方なのである。


ついでに指摘すると。
原作のタイトルは「黒白の旅路」。
このタイトルの意味するところは、表面的には、「殺人容疑をかけられた主人公(エンクミ)が、自分の無実を証明すべく、すなわち、黒か白かはっきりすべく、あちこち旅して証拠を集める」であろう。
しかし、裏の意味としては「黒か白、すなわち男か女かわからんやつの正体をはっきりさせる旅」という意味であろう。


しつこいけど、このドラマのどこが、「社会的な認知度がより高まり、周りの理解が得られるようになれば」なのか、わからない。