『男女共同参画』 法改廃狙い

2005.7.25.東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050725/mng_____tokuho__000.shtml

男女共同参画』 法改廃狙い

 女性も男性も性別にとらわれず、個性と能力を発揮できる社会を実現するための道筋を示した「男女共同参画基本計画」。その本年度の見直しで、自民党の関連プロジェクトチーム(PT)が計画の柱であるジェンダー(社会、文化的な性別)という考え方の否定に乗り出した。狙いは計画の根幹にある「男女共同参画社会基本法」の改廃だ。こうした保守派は、否定の根拠として、米国のある医療事件を挙げるが…。 (田原拓治)

 ことし四月の自民党「過激な性教育ジェンダーフリー教育実態調査PT」(安倍晋三座長)の発足については、今月二日付「こちら特報部」で紹介した。

 その後、PTは「過激な性教育」批判から「男女共同参画社会のベースにジェンダー論があると、家族破壊、国家破壊になる」(五月のPT集会で、事務局長・山谷えり子参院議員)とし、ジェンダーという概念自体の否定に乗り出した。

 山谷氏は今月十四日の党内閣部会などとの合同会合でも「誤解を招くジェンダーという言葉を(本年度見直しの)改定基本計画で直してほしい」と訴えた。

 ジェンダーという言葉はなじみが薄いが、生物学的な性別を表す「セックス」に対し、人為的につくられた「社会、文化的な性別」を指す。例えば、「女性は補助職向き」「男性は仕事、女性は家庭」といった考えは、既成のジェンダーに根ざすとされてきた。

 人為的な産物なら改革は可能だ。実際、一九九九年施行の男女共同参画社会基本法ではこうしたジェンダーに基づく差別、偏見の排除を法の柱にすえてきた。

 一方、保守派はジェンダーは虚構だとし、性別にはセックスしかなく、「男は外で働き、女性は家事・育児」といった役割分担はセックスの差異に基づき歴史的につくられた伝統、文化で不変だと強調してきた。

■女性学も批判 教員ら反発

 山谷氏は「女性学やジェンダー学を大学で充実させるとの文言が(男女共同参画基本計画に)あるが、これも問題だ」とも述べ、ジェンダー学に携わる教員らの反発を招いている。

 では、ジェンダー論否定の根拠とは何か。

 同氏は「『ブレンダと呼ばれた少年』にあるようにジェンダー論は米国では間違っているとされている」と、同国で実際にあった事件を題材にしたノンフィクション作品を指摘した=メモ参照。

 翻訳本は五月、「新しい歴史教科書をつくる会」会長の八木秀次高崎経済大学助教授の解説付きで、扶桑社から復刊された。

 八木氏は解説で、少年の悲劇を生んだ米国の性科学者ジョン・マネー氏が説く「性別の自己認識(性自認)は与えられた環境により決まる」との学説こそ、男女共同参画を推進した日本のジェンダー学者らが依拠したものと決めつけた。

 そのうえで「男らしさや女らしさは脳科学が証明するように生得的なもの(セックス)が基礎」で、環境が「らしさ」を左右するというジェンダー論は、マネー氏の「生体実験」の失敗で破たんしたと宣告。「マネーの学説に依拠している我が国の男女共同参画政策は大きな批判を受けることになるだろう」と山谷氏の発言を“解説”している。

 では、日本のジェンダー論者は、マネー理論を支持しているのだろうか。

 明治学院大の加藤秀一教授(ジェンダー学)は「日本のジェンダー論では、性自認は生得、環境的な要素の複合体とみなすのが一般的認識。また、筋肉量一つとっても、生得的な性差を否定するのではなく、それが女(男)らしさの押しつけにつなげられることを批判してきた。生まれたときは中性というマネー理論との混同は曲解だ」と憤る。

 男女共同参画基本法の策定に携わった東京大学大沢真理教授(社会政策)も「ジェンダーに着目することで、生得的な性差にも敏感になる」と反論する。

 ちなみに、翻訳本の解説で大沢氏らを名指しで批判した八木氏に対して、勤務先の高崎経済大と「つくる会」を通じ、取材を要望したが返答はなかった。

 一方、「ブレンダと呼ばれた少年」で「マネーの嘘(うそ)を暴いた」(八木氏)と保守派に評価されているのがハワイ大医学校解剖学・生殖学教授のミルトン・ダイアモンド氏だ。だが、同氏は自著の「人間の性とは何か」では、性別が生物学的因子(脳)だけに由来するという説、「生まれたときは中性」というマネー理論の双方を否定している。

 本紙の取材に対し、同氏は「人間の性別は生物学的な資質と社会、文化的な力が働きあった混合体。個人において、その混合がどう現れてくるかは、だれも予想できない」と話した。

 保守派は、ジェンダー論が「性的秩序、性規範の否定」(PHP刊『新・国民の油断』で八木氏)を引き起こすと断ずるが、ダイアモンド氏は「(ジェンダー論が登場する)ずっと以前から、日本では“将軍”の時代に女性になりたかった男性やその逆のケース、同性愛者もいたではないか」とそんな懸念を一蹴(いっしゅう)した。

 さらに、同氏は「私は倫理的に個々人が他人を傷つけない限り、性的関係やジェンダーの表現について、各自の性向に委ねることが許されるべきだと考える。他者に男らしさや女らしさを背負わせてはならないし、特定の道を強いてはならない」と強調。生き方を選ぶ権利を無視して、判断ができない乳児期に「特定の道」を強いた点こそがマネー氏の誤りと指摘した。

 事件を告発した同氏は、男女共同参画の理念と同様に「男(女)らしさ」よりも「個」の優先を主張しており、保守派とは逆の「事件の教訓」を導いている。

 「ブレンダの悲劇」によってマネー理論は否定された。だが、山谷氏の解釈とは裏腹に、日本のジェンダー論、個人を尊重するという参画理念の正当性は逆に強まったとも映る。

 ただ、保守派はジェンダー論否定のもう一つの証左として、男性(あるいは女性)として育ちつつも、性別違和感を訴える「性同一性障害」を挙げる。胎児の脳への母体のホルモン分泌異常が「障害」の原因という推論があるからだ。

■生得か環境か二者択一誤り

 だが、数多くの当事者と接してきた精神科医、針間克己氏は「有力な推論だが、現実は複雑で、生得か、環境かという二者択一で原因は割りきれない」と語る。結局、保守派の矛先はどこに向いているのか。性の領域だけなのだろうか。

 「新・国民の油断」で八木氏との共著者である「つくる会」名誉会長の西尾幹二氏はこう記している。

 「集団就職が盛んだった時代、(就職先の社長らの勧めで、青年たちは)何も文句を言わないでどんどん家庭をつくって、うんと子供を産んで(略)日本は生命力にあふれていました。個を無視しているからいけないとか、自己決定がどうとか、そういうくだらないことは誰も言わなかった」

 対照的に、ダイアモンド氏は「個」や「自己決定」を尊重する立場から、こう結論付けている。

 「ジェンダーや性的関係について、個人の選択や意見に介入する権利など、だれ一人持ってはならない」

<メモ>

 「ブレンダと呼ばれた少年」 米国のジャーナリスト、ジョン・コラピント氏のノンフィクション。包皮切除手術に失敗し、男性器を損傷した乳児(デイヴィッド)が1967年、米国の性科学者ジョン・マネー氏の勧めで、女性ホルモンの投与を受けつつ、女児(ブレンダ)として育てられた。だが、「ブレンダ」は男性としての自己を訴え続け、14歳で男性として性別再判定を受け、後に結婚する。この問題を追った性科学者、ミルトン・ダイアモンド氏はマネー氏の「性別の自己認識は完全に環境により決まる」という説を批判し、新生児に性転換手術を施す危険性を警告した。

 政府の「ジェンダー」概念の扱い 内閣府男女共同参画局は、ジェンダーを「社会的、文化的に形成された性別」と規定、国際文書で正式に利用され、政府も支援している概念としている。具体例として、男性から女性への家庭内暴力(DV)などは「女性は男性に従い、我慢すべき」というジェンダーによる思いこみが背景にあると指摘し、そうした押しつけは見直されるべきとしている。