ドキュメント 両性の間で 望む性隠すことを強いられ

2005.6.1.読売新聞九州版


ドキュメント 両性の間で <3>望む性隠すことを強いられ


 左手首には、幾筋もの傷跡が白く薄く残る。大学時代、部屋にこもり何度となくカッターナイフをなぞらせた。「自分の体が嫌で憎くて……。自殺する気はなかったけど、間違って死んでしまうのなら、それで良かった」

 山口県出身で名古屋市内に勤務する会社員吉村和真(24)(仮名)は性同一性障害GID)の男性当事者、いわゆるMTF(自分自身を女性と認識する男性)だ。10代のころから、友人に女性的なしぐさをあげつらわれ、からかわれた。

 「社会に出たら男として働かねばならない」と考えると、憂うつになった。リストカットの痛みが、やり場のない感情を溶解してくれた。

 それでも就職しようと決めたのは、「性別適合手術で完全な女になるため、治療費や手術費を稼ぐ必要があった」からだ。「GIDであることを明かせば、入社できない。まず入ってしまわねば」と考え、当事者であることは伏せて入社試験に臨み、パスした。

 女性服を着てお化粧して外出するなど「自分らしく過ごせる」のは休日しかない。いずれは女性として勤務したいと考え、信頼のおける上司には自身のGIDについて打ち明けた。関係がギクシャクし始めた。「普段は男の姿を見せているので、『女として扱って』とお願いしても無理なんですね」

 ◆偏見逃れるほうが楽
 「望みの性を隠すことを強いられるのは、FTM(男性を望む女性)よりMTFの方が多い」。山口県に関係する当事者の自助グループGIDネットワーク山口」代表の上原喜行(24)が分析する。

 FTMの場合、男装し、ホルモン療法で生えるヒゲを伸ばせばまず疑われることはない。これに対し、MTFは男性の骨格ゆえに、完璧(かんぺき)な女性として見せるのは困難という。「異形」を嫌うこの社会では、女性として生きるのは難しい。

 MTFであることが発覚し、悲劇を味わっているケースもある。

 大阪府内の高校教師の後藤光輝(46)(仮名)。MTFには、女性を性的志向の対象にする人もいる。後藤もそうだ。だから、「結婚に違和感はなかった」。3人の子どもをもうけ、20年以上も幸せな結婚生活を送ってきた。

 しかし、昨春、女装して外出したことが妻にばれた。後藤の挙動を不審に思い、調査会社に素行調査を依頼していたのだ。

 問いつめられた後藤は「自分が女である」ことをカミングアウト(告白)した。妻は精神が不安定になった。

 ある日、後藤が女装して、GIDの治療を受けている病院にいたところ、妻が高校生や中学生の子どもたちを連れて現れた。「ほら、あれ、お父さんよ」。妻は子どもだけを残して姿を消した。

 ぼう然と立ち尽くす子どもたち。後藤も動揺するばかりで発する言葉を見つけられなかった。子どもたちを連れて診察室に入り、担当医から説明してもらった。それでも、親子間に立ち込めた気まずい空気は今も晴れていない。

 夫妻は現在、離婚協議中だ。別れたら、女性として生きていきたい気持ちはある。だが、生活があるから、職場では「男性として振る舞い続けるしかない」。

 上原は「偏見の解消には社会的な認知を高めることが必要だが、偏見ゆえに当事者は表に出られないジレンマを抱えている」と指摘する。

 心の中の「女」を隠し、スーツ姿で勤務する福岡市在住の30歳代会社員の言葉が重く響く。

 「世間にこういう人間がいると理解を求めるよりも、偏見から逃げるほうが楽なんです」(文中敬称略)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/006/do_006_050602.htm