「ペニスカッター 性同一性障害者を救った医師の物語 」拝読。
1995年から2007年まで600例を超える性転換手術を行った和田耕治先生の一生の記録。
妻が、和田先生のblogや手記等をもとに記している。
和田先生は、中学時代は常に学年で1,2番で、ラ・サールや灘などの進学校に行きたかったらしい。
延岡高校に進み、学生運動をし、卒業式は出禁だったらしい。
群馬大学医学部を経て、東京逓信病院から、その近所の警察病院の形成外科へ。
ここで警察病院に進んだことから、形成外科医として歩むことに。
大阪のニューハーフのお店「冗談酒場」で、Aさんと出会ったことがきっかけで性転換手術を行うことに。
(Aさんと匿名になっているが、はるな愛さんであることは周知の事実だと思うが)。
本の後半は医療過誤の事件2件について。
マスコミ報道でしか知らなかったが、和田先生側の視点が詳細に記されている。
関西GIDネットワークの第1回会合に、大阪医大の康先生より招かれる。「希望の見える状況」「話が通じ合えて大変良かった」と。
2007年5月22日、逝去。53歳。
中身は和田先生の医師の一生が詳細に記されていて大変読みごたえがあった。
ただ、タイトルだけは疑問。本文中に「ペニスカッター」という言葉は一度も使われていない。出版社が、注目をひくためにつけたタイトルだろうか。
和田先生はペニスを切除していたのではなく、女性器を作っていたのではないだろうか。