はるな愛をオンナにした「赤ひげ先生」秘められた死

週刊文春2009年6月4日号P145
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/index.htm

はるな愛をオンナにした「赤ひげ先生」秘められた死


バラエティ番組に引っ張りだこのタレント・はるな愛(36)には、今年三月に出版された自伝本にも記されていない「悲しい過去」があった。彼女の性転換手術を執刀した、“生みの親”和田耕治医師が、二年前に不慮の死を遂げていたのだ。


 はるな本人が振り返る。
「私が大阪のショーパブで働いていた頃、先生が病院のスタッフと打ち上げに来たのが最初でした。当時は男の子の体だったので、美容外科の先生と聞いて、それからは必死に手術をお願いしたんです。一年たって、やっと『僕の自己責任で手術をしてあげる』と了解してくれたときは、感激しました。私が先生の第一号で、お店の後輩が二号、三号と続いています」
 国内で性転換手術に対応できる医療機関は現在も少ない。ナグモクリニックの山口悟GIDセンター長が解説する。
「国内で公に手術ができるのは当院も含めて四カ所だけで、初診が半年待ち、手術までに数年待ちの病院もあり、海外やヤミ診療に流れる患者も多い。和田氏はそのヤミ診療の第一人者。正統派の医師が保身だけを考えていたのに対し、和田氏は五百例ぐらいの手術を手掛けて、目の前の患者の希望を叶えた。そのスタンスは尊敬しています」
 宮崎出身の和田医師は群馬大医学部を卒業後、東京警察病院を経て大手美容クリニックを転々とした後、九六年に大阪で開業した。
「いつも気だるそうにしていて無愛想。身だしなみを気にしない人で、髪もくしゃくしゃ。ちゃんとした手術室もなく、ジーパン姿で執刀していた。でもニューハーフを変な人としてしか扱わない医師が多いなか、先生は親身になって相談に乗ってくれる。そこが私たちにとって仏様なの」(手術を受けたニューハーフ)
 こんな型破りな人柄から、その世界では“赤ひげ先生”と慕われた和田氏は、独自に研究を重ね、性転換の先進国・タイとは異なる手術法を開発している。
「『横になったときにペチャンコになるようなおっぱいにして』とお願いしたら、先生は工夫を重ねて、そういう自然な胸にしてくれた。勉強熱心で、手術が大好きな人でした」(はるな)
 匿名で短期間だけ開設していたブログには、次のような言葉を残している。
「法律や社会が許さないといっても、そんなものは無視してよい・たとえ罰せられても医師としての覚悟の上だ・国や法律ができる前から医療は存在してるんだいうのが私の信念です」
 〇二年に患者を死亡させる医療事故を起こすが、それでも手術の依頼は増え続けた。だが、和田医師は追いつめられていったようだ。
「値段が安いから変なお客さんも増えちゃって、『なんとかしなさいよ!』と先生に詰め寄るクレーマーが多くなったの。『最近はみなクレームばかりだ。僕は神様じゃないのだから完璧なことは無理なんだよ』と嘆いていました。その頃から睡眠薬を服用するようになった」(前出・ニューハーフ)
 ある朝、出勤した看護師が病室で倒れている和田医師を発見する。五十代半ばの早すぎる死だった。過労死とも薬物の多量摂取による自殺とも言われるが、真相は謎のままだ。
「亡くなる数日前、『来月の手術よろしくね』と声をかけたら、『そのとき生きていたらね』と言っていた。疲れでゲッソリしてました。葬儀は親族だけの密葬だったようです」(同前)
 はるなは、ニューハーフ仲間から訃報を聞いた。
「先生はよく『君が僕の人生の始まりだよ。君に引っ張られたようなもんやわ』と冗談っぽく言ってました。それをずっと嬉しく思ってましたが、亡くなったと聞いて『ごめんなさい』と思いました。やっとこれから恩返しできると思っていた矢先だったのに……」
 病室が入居するビルの管理室には、「お花を供えたい」と訪ねるニューハーフの姿がしばらく絶えなかったという。