責任の所在

GIDが医学的疾患であることのメリットは、身体治療の正当性の確保だけでなく、
「自分が言ってるだけでなく、医者からちゃんと診断されたんだ」
という主張ができることにもあると思う。
ただ、その診断した医者も
「はい、私が責任を持って診断しました」
と全責任を個人的に負うことはまれで、
ガイドラインに沿って診断しました」「DSMという診断基準に沿って診断しました」
などという場合が多いと思う。
かくして、悪く言えば責任の所在があいまいになっていくわけだが、よくいえば社会全体の承認に基づいて、ということになる。


「私の個性だ」と主張して、全責任を個人的に背負うよりかは、社会全体で背負うほうが、日本ムラ的社会風土では、確かに適しているのかもしれない。