【ボーダー その線を越える時】(4)性の境界 「なぜ僕は父親になれないのか」

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【ボーダー その線を越える時】(4)性の境界 「なぜ僕は父親になれないのか」
サンケイ 2011.1.5 18:58

 長年、自分に違和感を与え続けてきた子宮が体内から取り出されたとき、高揚感はなく淡々としていた。

 性別適合(性転換)手術の分野で、世界有数の手術数と技術を誇るタイ・バンコクのヤンヒー病院。平成20年2月、病室のソファに腰掛けていた。手には摘出直後の子宮を撮影した写真があった。「ほんまになくなったんやな」

その翌月、性同一性障害特例法に基づき、性別を男に変えた大阪府東大阪市の会社員、前田良(28)。女から男への境界を越えた実感は、「ようやく男に戻れた」という安堵(あんど)感を生んだ。

 「なんで女なんやろ」。幼稚園のころから疑問を抱いていた。中学、高校と進学する中で違和感は増し、制服のスカートがたまらなくイヤだった。髪を少年のように刈り込み、周囲からは「男女(オトコオンナ)」と揶揄(やゆ)された。

 高校卒業後は警備会社に就職したが「制服のスカートを着る女」で居続けることに苦しみ数カ月で退職。「名前を男に変えたい」と両親に相談したが、母は泣き出し、父は「お母さんを泣かすな」と諭した。

 19歳の時から、親に内緒で男性ホルモンの注射を受け始めた。低く変わっていく声、生え出したひげ。体に変化が表れる分、親との距離が広がった。16年、心と体の性別が違う「性同一性障害」と診断された。特例法に基づき性別を変えるためには、性別適合手術を済ませる必要があった。

 タイの病室では前田に寄り添う交際中の女性(29)の姿があった。術後は痛みでうなされる前田の背中をさすり、寝ずに介抱した。性別を男性に変え、この女性を妻にしなければ−。約2カ月後に結婚し、両家の家族が祝福してくれた。「ようやく普通の男として暮らせる」。だが、厳しい現実が待っていた。

 ■「なぜ父になることを許してくれないのか」

 「子供が欲しい」と言い出したのは前田だった。手術を行い、ホルモン投与を続ける自分は長生きできないかもしれない。「僕が死んでも、妻を支えてくれる子供を残したい」

 生殖能力がない前田。夫婦が選んだ道は第三者精子を使う非配偶者間人工授精(AID)だった。21年11月4日、体重2310グラムの男の子が産声を上げた。前田は病室で、出産を終えたばかりの妻と抱き合い、涙を流した。

 民法772条には「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」と規定。この一文から、不妊治療として行われるAIDで生まれた子は一般的に「嫡出子」として扱われる。

 前田も、当時住んでいた兵庫県宍粟(しそう)市の市役所に嫡出子として出生届を出そうとした。だが「生物学的に親子関係は認められない」と指摘され、父親の欄を空欄にして「非嫡出子」として届けるよう指示された。

 「国が男性と認めてくれたのに、なぜ一般の男性と同じに扱ってくれないのか。なぜ父になることを許してくれないのか…」

 養子縁組の道もあったが、嫡出子扱いを求め続けた。22年1月には当時の法相、千葉景子が「改善に取り組みたい」と表明したが、その後の進展はない。生まれてから1年余りがたつ息子には、いまだに戸籍がない。

 ■1711人が戸籍上の性別変更

 日本精神神経学会などによると、19年末現在で性同一性障害と診断された患者数は約7000人に上り、未受診者を含めると1万人以上と推定される。16年7月の特例法施行後、21年度末までに1711人が戸籍上の性別変更を行った。

 「一番若い患者は2年前に5歳だった男の子。最初は短パンだったがスカートをはくようになり、会うたびに見た目やしぐさ、言葉遣いが女の子になっていった」。性同一性障害の診断を行う埼玉医科大かわごえクリニックの医師、塚田攻(おさむ)(60)は明かす。

 男児は今、小学2年生。経過観察中で性同一性障害の診断は下していないが、小学校側の理解もあり女児として扱われている。塚田が小学生に性同一性障害の疑いがあると診断したケースは十数例に及ぶが、そのうち数人が学校で望んだ性別として通学している。

 全国的にも、鹿児島県内の中学2年の女子生徒や、兵庫県内の小学校6年の男児が同様の扱いを受けている。塚田は「子供が引きこもりや不登校にならずに済んでいる」と歓迎する一方で、懸念も募らせる。

 「ひげが生えたり胸が膨らんだりする第2次性徴が表れたとき、周囲との人間関係に葛藤するかもしれない。その試練を乗り越えてくれればいいが」=敬称略

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