窓 論説委員室から 越境者たち

2009.12.19 朝日新聞夕刊
窓 論説委員室から 越境者たち
文化や宗教の違いなどをめぐって、国を二分三分するほどの深刻な亀裂は日本にはないようだ。だが、見えない境界は多い。富国強兵や経済成長のため、強壮な男性を前面に押し立て、無意識のうちにそれ以外の人々との間に線を引いてきたのではないか。そのなごりが、日本社会をひどく息苦しくしているように思えてならない。
この閉塞感を破る道を切りひらく人々のなかに、進んで境界を越えようとする一群の越境者たちがいる。
「一身にして二生を経る」と「文明論之概略」に書いたのは福沢諭吉だったが、「一身にして二性を生きる」といえるのが多摩大学非常勤講師で女装家の三橋順子さんだ。身体は男性、心と社会的存在は女性という生き方を選んだ。
男女の境界を越えた立場から何が見えるのか。そのポイントを聞いてみた。
「トイレひとつとっても、男女で二分できないと面倒が多い。そういう面倒を徹底的に避け、効率性に固執することが社会の習い性になった。けれど、それは『割り切れない』人たちの能力や才能を切り捨てること。今やその切り捨ての損失の方が大きくなりつつあります」
江戸時代までの日本社会は男女の境界がとてもファジーだったことを著書「女装と日本人」で検証した。「インテリほど効率信仰に毒され、他人と違うことを極端に恐れがちなのが、日本の弱点。影響力をもつ人こそ、多様性が創造性を生むと信じるべきです」〈川戸和史〉