【【2】性別を超えて】「本当の私」向き合う

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朝日


同じ空の下で


【【2】性別を超えて】


「本当の私」向き合う
2012年05月01日


「私がしていることに、何も後ろめたいことはない」と話すママの美咲さん=前橋市千代田町5丁目


性的マイノリティーを社会がどう受け入れるかが問われている」と話す三橋順子さん=東京都内

 前橋市千代田町にあるスナック「ニューハーフfelis(フェリス)」。店に入ると、夜空を背負った一匹のキツネの絵が飾られていた。


 「孤高のキツネ」――。店を訪れたイラストレーターが、ママの美咲さん(38)をイメージして描いた。「自分を曲げずに突き進む姿が『孤高』なんだって」と、はにかんだ。


 店には中学校や高校時代の先輩後輩も集う。細身の体に長い髪。幼なじみの「哲也」ではなく、誰もが「美咲」と呼ぶ。「周りの人にも受け入れられて、私はラッキーだったと思う」


 5年ほど前まで、女性と結婚していた。男性として書店で店長も務めた。そんな日常の何かが、しっくりこなかった。


 妻との生活は楽しかった。ただ、布団の中で求められると、複雑だった。耐えきれず打ち明けた。一瞬顔を曇らせた妻が、笑顔で言ってくれた。「じゃあ、一緒に病院に行こうか」


 「性同一性障害GID)」と診断され、胸のつかえがとれた。妻とは離婚したが、今も良い友達だ。


 露骨に差別された昔に比べれば、格段に生きやすい世の中なのだろうと思う。店の場所も地元・前橋にこだわった。両親も息子の人生を否定はしていない。


 「くよくよしていたら逆に親不孝。まず自分が正しいと思わないと」


 月1回、女性ホルモンを注射し、2年前には精巣を切除した。体は丸みを帯び、胸もふくらんだ。いつか戸籍上も女になり、今の彼氏と結婚したい気持ちもある。「でも、どうしたって自分は子どもを産めない。だから私は女の子ではなく、ニューハーフなんです」


     ◇  ◇


 全国のGID当事者ら約1千人でつくる「日本性同一性障害と共に生きる人々の会」によると、GIDを理由に戸籍の性別を変えた人は、制度化された2004年には全国で97人だったが、昨年は609人。8年で計2800人を超えた。県内の性別変更申し立ても04年は1人だったが、10年までに計16人に。09、10年は各4人と増加傾向だ。


 GID学会理事長で岡山大学大学院の中塚幹也教授(生殖医学)は「GIDの人たちは性別変更後も、様々な問題に直面する。だれもが生きやすい社会になるように制度や教育を見直す必要があり、そのために当事者や専門家が声を上げないといけない」と話す。


     ◇  ◇


 「私、病気に見えますか?」。着物姿で教壇に立った群馬大学医学部非常勤講師の三橋(みつ・はし)順子さん(56)=東京都在住=が、医学生約120人に問いかけた。


 三橋さんも自身の性に違和感を持ち、社会的には女性として生きる一人だ。ペンネームや女装で活動している。しかし、戸籍上の名前はそのまま。妻と長男もいる。性社会・文化史研究者として大学の非常勤講師を務め、「トランスジェンダー(性別越境者)」の立場から、「性別を超えて生きることは『病』なの?」と問い続けている。


 21歳のころ、渋谷駅でおしゃれな女性を見かけた。「すてきな人。私もああなりたい……」。女性に同化したいと願う自分に気づいた。35歳から女装クラブに通い、昼は男性講師、夜は新宿・歌舞伎町のホステス。自分を押し込めていたものが消え、「本当の私」になれた気がした。


 トランスジェンダー研究に専念する今、国内外のシンポジウムに招かれることも増えた。しかし、就職の難しさなど性的マイノリティーを取り巻く環境はなお厳しい。「男女雇用機会均等法などで男女間の平等は進んだけど、企業も行政もトランスジェンダーは想定していない。少数者を受け入れる社会に早くしたい」(牛尾梓、金井信義)
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