性同一性障害

精神科臨床サービス 第9巻4号 526-529p 2009年10月
>《今回の特集:スペシャリストの知識と技術で腕をあげる》
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性同一性障害

抄録
性同一性障害を有し、主要な医療機関を受診したものは、これまでで延べ7000人を超え、戸籍変更をしたものは、2008年末までに1263名である。基本用語としては、GID(Gender Identity Disorder)、MTF(male to female)、FTM(female to male)、SRS(sex reassignment surgery)、特例法(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律)などがある。鑑別診断では、同性愛、異性装、半陰陽統合失調症などに留意する必要がある。外来での対応としては、混乱したセクシュアリティアイデンティティ、一般的メンタルヘルス、身体的治療の承認、名の変更、性別変更のための診断書作成、といった受診動機に留意する必要がある。入院時の対応は、入院前の社会生活上の性別が、ひとつの判断基準となる。いずれにせよ、性同一性障害を有する者たちを理解し受容する心のありようこそが、医療の現場に求められる。

キーワード
性同一性障害 GID 性別適合手術 特例法 鑑別診断 

針間克己 はりまかつき
はりまメンタルクリニック

はじめに
性同一性障害とは、「ジェンダーアイデンティティ(gender identity)」すなわち、性別の自己認識と身体的性別が一致せず、そのことに苦悩している状態を指す疾患名である。
性同一性障害は、我が国では長らくタブー視され、医学的関与もほとんどなされていなかったが、1998年に埼玉医科大学性別適合手術(いわゆる性転換手術)が行われて以降、状況は大きく変化した。複数の大学病院で性同一性障害治療のためのジェンダー・クリニックが設立され、民間でも、精神科クリニックや形成外科などで治療が取り組まれるようになった。主要な医療機関を受診したものは、これまでで延べ7000人を超えている。また医学的進展だけでなく、2003年には、性同一性障害者の戸籍の変更を可能とする「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(以下「特例法」と略す)」も制定された。1)2)この特例法により、戸籍変更をしたものは、2008年末までに、1263名である。さらには、性同一性障害者であることを公表した政治家や芸能人の活躍もあり、世間的にも広く認知されるようになった。
このような状況の中、性同一性障害を主訴して、一般の精神科を受診したり、あるいは性同一性障害を持つものが他の疾患で医療機関を受診することも増えている。そこで、本稿では、1.基本用語、2.診断、3.外来対応、4.入院時対応のポイントについて概説する。

1. 基本用語
性同一性障害に関する用語は、医療従事者だけでなく当事者の間でも広く用いられる。代表的なものをあげる。3)
GIDジーアイデー):Gender Identity Disorder、性同一性障害の略語。
MTF(エムティーエフ):male to female、男性から女性へ性別変更する/したい/したもの。
FTM(エフティーエム):female to male、女性から男性へ性別変更する/したい/したもの。
・SRS(エスアールエス):sex reassignment surgery、性別適合手術。いわゆる性転換手術。
・特例法:性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律。

2. 診断
診断は、DSM-IV-TRないしは、ICD-10の診断基準に基づき、「自分の性別への違和感」、「反対の性別の同一感」を確認することで行われる。実際には多くの場合、初診時より患者自らが「自分は性同一性障害ではないか」と述べ、「自分の性別は嫌だ」「反対の性別になりたい」と訴えるため、診断は容易のようにも思われる。しかし最近では、性同一性障害が広く知られたこともあり、かならずしも、診断基準を満たさないものも「性同一性障害」を訴え受診することも少なくはないので、注意が必要である。鑑別すべきいくつかの疾患、状態を記す。
・同性愛
同性愛とは、自分と同じ性別の者に性的魅力を持つことである。たとえば、女性が女性に恋愛感情を持つ。すると「女性が好きだということは、自分の心は男性では」などと思い、医療機関を受診するものがいる。この場合、恋愛のことは抜きにすれば、自分自身の身体、性役割などには、違和感を強くは持っていない。ただ、最近は、「彼女と結婚したいので、戸籍を変更するために、男性になりたい」などと考える者もいる。
・異性装
「女装すると興奮してマスターベーションする」のように、性的興奮を目的として、女装するものや、コスプレのように楽しみ、気晴らしを目的として異性装をするものもいる。彼らの場合、自分自身の身体や、普段の性役割に関しては、強い違和感はない。ただ、「女装した時により一層女性らしくなりたいから」といった目的で、女性ホルモン投与を希望したりするものなどもいる。
半陰陽
 性別違和を訴えるもの中には、性染色体異常や性ホルモン異常が隠されている場合もある。そのため、性同一性障害の確定診断のためには、精神医学的問診だけでなく、血液検査で染色体や血中ホルモン値を測定すると共に、泌尿器や婦人科での身体的診断も必須である。
統合失調症
 統合失調症の症状として性別違和を訴える者もいる。「お前は女だ、という声が聞こえるんです」といった幻聴や、「自分が実は女性だから、自分のまわりの男性が自分に対して性的興奮をする」といった妄想を訴える場合は、経験を積んだ精神科医であれば、診断は困難ではないであろう。しかし、最近では性同一性障害が広く知られてきたがゆえに、明らかな幻覚妄想を呈する前の、前駆期にみられる症状、すなわち漠然とした不安感や、周囲との違和感といった症状を、患者が性別の問題だと解釈し、性同一性障害として訴えてくる場合も見られる。こういった訴えの場合、直ちに確定診断を下すのは容易なことではない。筆者は、訴え方になにか奇妙な印象を受けた場合には、確定診断は留保し、長期的な経過を見ていくようにしている。

3.外来での対応
 性同一性障害を有する者が精神科を受診した場合、残念なことに「専門でない」とのことで、診療を断られるケースが多いと聞く。確かに性同一性障害診療においては、専門的知識を必要とする場合もあるが、ある程度の知識で対応可能な場合もある。それは、性同一性障害といっても、さまざまな動機で精神科を受診するからである。ここでは、動機に留意しながら、精神科外来における性同一性障害への対応のいくつかを記す。
・混乱したセクシュアリティアイデンティティ
自分の性別への違和感から、「いったい自分は何なのかわからない」、「自分はこれからどうすればいいんだ」、などのような訴えをし、治療者に回答を求めてくるものは多い。こういった問いには、傾聴をしつつ「自分はどう思うのか」「自分はどうしたいのか」と聞き返すことなので、患者自らが答えを出すのを待つことになる。
・一般的メンタルヘルス
 抑うつや不安、不眠などといった、一般的な精神症状への治療を求めてくるものもいる。これらの症状が性別違和に伴う二次的なものであれば、性別違和の問題に取り組むのが本筋ではあるが、当面の間、薬物療法で改善を目指すという選択肢もありうる。
 また精神症状が、本人が服用しているホルモン剤の影響の場合もあり、その時は、本人及びホルモン剤を投与している医師と相談しながら、ホルモン剤の調整を試みることも必要となる。
・身体的治療の承認
 来院動機としてもっとも多いのが、ホルモン療法や乳房切除術、SRSといった身体的治療に進むための、ワンステップとして、精神科受診するものである。身体治療へと進むべき必要事項の詳細は、日本精神神経学会性同一性障害に関する委員会が作成したガイドライン4)に記されている。概略としては、性同一性障害と診断されていると共に、望みの性別で生活し適合していること、精神的に安定していること、身体的治療のリスクや限界を理解していることなどが精神科医の判断として必要となる。
 身体的治療に適応があるとの判断と、その判断を示す意見書の作成には、ある程度の知識と経験を有するために、性同一性障害に詳しい医師に紹介することが望ましい。しかし、現状では、そういった医師が全国に広く存在するものでもなく、身体的治療に進むには2名の精神科医の承認が必要なことを考慮するならば、1名は経験のある医師、1名は患者の地元の精神科医という組み合わせも現実的な対応としては考えられる。
・名の変更、性別変更のための診断書作成
 名の変更や、性別変更のための診断書を求めて受診する者も多い。
 「太郎」を「花子」にするといった、名の変更には、法的には明確な基準はないが、筆者の経験だと、改名希望の名の使用実績が1年以上かつ、精神科医1名による「性同一性障害」という診断書があれば、家庭裁判所でおよそ許可される。ここでの診断書は、必ずしも詳細なものである必要はなく「性同一性障害と診断し、女性名を使用することは本人の苦悩の軽減に有用である」程度の文言で十分である。
 「長女」を「長男」にするなどの、性別変更は、その条件が特例法により示されており、性同一性障害の申立人は、その条件を満たすことを証明するために、2名の精神科医により作成された診断書を家庭裁判所に提出しないとならない。この診断書に記載すべき項目は厚生労働省令により定められている。5)診断書作成にあたっては、厚生労働省により作成された診断書記載例があるため、それを参考にすれば、作成経験がない精神科医でも作成は可能ではある。ただし、特例法により、診断する医師の条件が、「その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する」と定められているため、実際には、ある程度の経験がある医師が作成することになる。

4.入院時の対応
性同一性障害を有する者が、身体疾患や他の精神疾患で入院する場合、どちらの性別で扱うかで対応に苦慮することがある。SRSをし戸籍変更を済ませていれば特に問題はない。また、身体的治療を全くしていない場合は、身体的性別での対応もやむをえまい。しかしながら、ホルモン療法や乳房切除程度の治療をしているが戸籍変更はまだなどのケースは難しい。筆者は精神病院勤務時代、ホルモン療法を行っていたMTFの2名を本人の希望通りに女性扱い(ただし男女混合病棟での個室使用)で入院させた経験がある。しかし2名とも、周囲から奇異な目で見られているのではという不安、あるいは極端な女性服着用(セーラー服など)があり、入院継続が困難となり、早期退院となった。この2例とも、入院前は女性としての社会生活が乏しかったのが、入院生活がうまくいかなかった要因の一つとして考えられた。
基本的には、本人の希望を最大限に尊重しながらも、入院前の普段の社会生活を、いずれの性別で過ごしていたかが、入院時の対応すべき性別の基準となるのではないか。

おわりに
性同一性障害の対応にあたり、留意すべきいくつかの項目を述べた。ただし、細かな知識やテクニックより、性同一性障害を有する者たちを理解し、受容していく、心のありようこそが、まず第一に医療の現場に求められるものだと筆者は強く思う。

文献
1) 南野知惠子:[解説]性同一性障害者性別取扱特別法.日本加除出版,東京,2004
2) 針間克己,大島俊之,野宮亜紀:性同一性障害と戸籍.緑風出版,東京,2007
3) 野宮亜紀,針間克己,大島俊之:性同一性障害って何?.緑風出版,東京,2003
4) http://www.jspn.or.jp/05ktj/05_02ktj/pdf_guideline/guideline-no3_2006_11_18.pdf
5) http://www.mhlw.go.jp/general/seido/syakai/sei32/index.html