あるジェンダー理論への批判:血祭りになった一人の学者1

Criticism of a Gender Theory, and a Scientist Under Siege
http://www.nytimes.com/2007/08/21/health/psychology/21gender.html?_r=1&oref=slogin


(訳by AJ)
あるジェンダー理論への批判:血祭りになった一人の学者


戦場と同じく、学問の世界でも、いったん狙い撃ちされると、どこまで撃たれるかは予測不能だ。
今月はじめ、International Academy of Sex Researchのメンバーがバンクーバーに年に1度の会合に集まり、最近最も論争となっている事柄について、非公式に討論した。

この論争の中心人物は、ノースウェスタン大学の心理学者、Michael Baileyだ。彼の提唱した理論が、不正確で、トランスジェンダー女性を侮蔑し中傷していると、批判を受けている。ここ数年、数名の著名な,自らがトランスジェンダーの学者たちが、この心理学者に一連の告訴を仕掛け、倫理的侵犯もしていると訴えている。彼が著作の中で触れたあるトランスジェンダー女性は、かれは性的に不適切であると告訴し、彼はゲイ、トランスジェンダーコミュニティの中で非難されるべき対象となった。
Bailey博士の仲間にとっては、この論争は、彼を悪玉に仕立てられだけであり、学問の自由を奪うものと考える。政治的に繊細な問題を議論することは、用心すべきことになってきていると述べる学者もいる。たとえばデンマークのHelmuth Nyborgは、男女差に平均IQの違いがあると報告したあと、マスコミの餌食となり、職場も解雇された。
「Baileyにおきたことは重要だ。なぜなら、彼への嫌がらせは、度を越しており、この分野の研究者には、誰しにも起きうることだからだ。」とAlice Dregerは語る。彼女は倫理学者で、ノースウェスタン大学での患者権利の擁護者だ。(訳者注:「私たちの仲間」の著者です。)彼女はこの件について綿密な調査を行い、Baileyはまったく、責められるべきことはしていないと結論づけた。

しかし、批判者側に言わせれば、Baileyは仕立てられた悪役などではない。
「一般大衆に向かって、非科学的なデマを流し、政治的なダメージを与えるような著者と著作に対しての、当然のコメントをしているだけです。」とイリノイ大学の教授で、Bailey 博士への主たる不批判者のDeirdre McCloskeyはE-メールで語る。
批判が始まったのはBaileyが「The Man Who Would Be Queen」という本を2003年春に発行してからだ。この本は一般読者に、性指向とジェンダーの生物学を説明する目的で書かれた。
Baileyいわく、本を出してからの2年が人生において最もつらい時期だった。
Baileyの同僚の性科学者の多くは、かれはまじめな研究者で、知的なタブーにも挑む男だと述べる。
彼は著書の中で、性別を越境しようとする男性の中には、自分が女性だと想像することで性的に興奮することが、主たる動機な者もいると、記した。この考えは、女性として生きていこうと決意する多くの男性の信念には反するものだ。その信念とは、自分たちは生物学的な過ち、すなわち、男性の体に閉じ込められた女性、というものだ。Baileyは、この仮説を、1980年代90年代にカナダで行った研究をベースに記した。その中には、共通の知人を介して、知り合ったトランスジェンダー女性の逸話もいくつか含む。著書の中では、仮名で記している。
この本は、魅力的に説明していると、ほめるものもいる。LGBTの研究を促進する団体のLambda Literary Foundationは、この本を、賞の候補に上げた。
しかし、本が発行されて数日後、ミシガン大学の著名なコンピューター学者のLynn Conwayは, Bailey の説は、ナチのプロパガンダのようなものだというメールを発信した。彼女や他のトランスジェンダー女性は、この本が侮辱的で、その理論は更なる差別の材料となると考えた。
Dr. Conway は我々の取材には応じなかった。
スタンフォードの神経学者のDr. Ben Barresは、Baileyの本を自分の著書で引用した中で、Baileyは、人々が心底正しいと信じていることを、違うということで生計を立てている、と批判した。

本の出版あと、まもなく、当時のキンゼー研究所所長のDr. John Bancroftは、Baileyに対して「本を読んだが、あれは科学じゃない」と述べたと、会議録に残されており、そのことをDr. Bancroftも認めている。
攻撃は、本に対してから、すぐに、著者自身へと移った。
(続く)