あるジェンダー理論への批判:血祭りになった一人の学者 3

(昨日の続き)
ノースウェスタン大学は、Dr. Baileyの研究について、2003年年末に調査を開始した。(セックスしたという告発に対して調査したという証拠はない)。
調査はほぼ1年続き、その間、 Dr. Baileyの研究室はほぼ、機能停止となった。
「全く最悪で、大学からは何の支援もなかった。彼等は怯えて、プロとしての対応ではなかった」と、Dr. Baileyの元学生で、現在、講師であるGerulf Riegerは述べた。
調査は2004年に終了したが、大学広報は、調査へのコメントは拒否した。
Dr. Bailey が言うには、ある同僚は彼と絶交し、彼との親交を続けた同僚は痛い目に会った。2人の研究者は政府の研究基金官から、研究基金が欲しければ、Dr. Bailey と距離を持つようにといわれた。
「Baileyとは関係しないほうがいいよ、といわれた」とペニンシュラ州立大学のKhytam Dawood は述べた。
Dr. Baileyが言うには、最初の数週間の攻撃が最悪だった。 告発については考えないようにしたが、夜中に目が覚め、ほかのことは考えられなくなった。抗不安薬も服用した。仕事を失うことも心配した。友人や家族は彼を支えてくれたが、同僚で彼を弁護するのをこわがるものもいた。
「そんな同僚は、私の状況を見て、関わりたくないと思ったんだ」とDr. Baileyは述べた。
戦場の霧は、実際の兵士の感覚も麻痺させるが、それは学問の世界においても同じことだ。
2004年10月Dr. Baileyは大学の心理学教室教授の職を追われた。彼はその理由を述べなかった。大学広報は、失職と著書とは関係がない、とだけ述べた。
この理由については、ネット上では、まだとやかく詮索されている。
National Center for Transgender Equalityの代表である、Mgara Keislinは、「彼の理論が実際どのようなものであるかは関係ない。私が思うには、多くの人の生活に関わる理論は、良質な科学に基づくものであり、その理論には責任が伴うのだ。」
しかし、Dr. Baileyの支援者達が言うことも、もっともだ。すなわち、誰が責任を定義するのか。責任が果たせないと、どれだけの代償を払うのか。
この論争は現在も続き、wikipediaで読む事が出来る。ここではDr. Baileyについて長大な書き込みがある。「研究の不正」というタイトルがあり、彼への告発についてはDr. Dregerのレビューもあるが、かの有名な警告文、「これらの項目は、中立的な観点の面から議論中です」 とも書いてある。
(おしまい)