三橋順子さんが紹介しているDr.Tresmin-Tremolieres『La Cite' d'Amour au Japon, Courtisanes du Yoshiwara(日本の愛の街―吉原の遊女たち―)』
ドイツ語訳がネット上であった。(挿絵なし)
最初の2ページだけ、geminiで翻訳してみた。
序文
本書は、日本における娼婦の生活の簡潔な概要を示すものである。しかし、彼女たちの日常の枠組みを超えた記述は不可能であったため、我々は最も典型的なものとして、東京の「歓楽の街(喜びの街)」にある「黄金の檻」を選び出した。
我々は、世界でも類を見ない、ほぼ一つの都市とも言えるある地区の物語を語ることを試みる。それによって、いつか「売春の歴史」を書こうとする作家に対し、興味深い詳細を提供したいと考えている。
このような研究は、社会の他の制度や弊害に関する研究と同様に正当なものである。それは貧困、宗教観、婚姻法、そして憲法形態の歴史と密接に結びついている。アンリ・テュロ(Henri Turot)は、その著書を『愛のプロレタリアート』と名付けたではないか。
2枚目の画像:VI章の一部
VI
ヒンドゥー、ユダヤ、ギリシャ、ローマにおける遊女(クルティザネ)に関する規定から、彼女たちが寺院の影で、そして古い宗教の聖職者の保護の下で暮らしていたことがわかります。
一夫一婦制、一夫多妻制、あるいは多かれ少なかれ容易な離婚の可能性が、これらの問題に影響を及ぼしていないと断言できるでしょうか?
最終的に、どこの政府が、法律、道徳、そして衛生の前で男女平等を布告する勇気を持つのでしょうか?
さて、日本、特に東京における公認および秘密の売春について、できるだけ正確な情報を提供するために、我々は非常に大きな困難を克服しなければなりませんでした。読者の皆様には、何卒ご理解を賜りたく存じます。というのも、日本の文献は周知の通り、平仮名、片仮名、そして漢字という3つの異なる文字で書かれているからです。
一方で、我々が関心を抱いた文書がヨーロッパの言語に翻訳されていることは、極めて稀でした。
そのため、我々はしばしば釈迦牟尼(ブッダ)の寓話を思い出しました。
「4人の盲人が連れ立って歩いていると、1頭の象に出会いました。最初の一人は脚に触れ、こう言いました:」