大島俊之先生の思い出。

大島俊之先生の思い出。
針間克己


大島先生の名前を最初に知ったのは1997年のことである。この頃、日本では埼玉医大性同一性障害の手術を行うと発表し、翌1998年に手術が行われるという、ちょうと「夜明け前」の時期であった。
当時私は、性同一性障害の戸籍変更について調べていた。すると、医学界が取り組みを始める何と15年前の1982年に、「性転換と戸籍訂正」という論文が存在したのである。その著者が大島先生であった。正確な医学知識と厳密な法議論に基づく見事な論文で、これを書かれた先生は、大先生なのだろうと感服した。
はじめてお会いしたのは1998年のことである、この年に法律家・医師の有志で「性同一性障害と法」研究会をたちあげ、そのメンバーとして知り合ったのである。初めてお会いする大島先生は、意外にも、50を過ぎたばかりの、若々しいお姿であった。「性転換と戸籍訂正」があまりに見事な論文なので、老教授だと思っていたが、この論文は35歳で書きあげていたのである。また年齢以上に、情熱的で、ユーモアがあり、想像とまったく違う気さくな人柄に私はたちまち魅了された。この研究会は、ほかにも石原明先生や、当時の戸籍変更裁判を弁護していた、弁護士の先生などもいた。弁護士先生の一人に長瀬幸雄先生もいた。この先生は抜群の切れ味の頭脳と熱いハートを持つすばらしい先生だったが、特例法を見ずして、若くしてなくなった。残念なことだった。研究会は毎月、東京と京都で交互に開催された。互いの知見を交換し、相互の医学的、法律的理解は深まり、戸籍性別変更に向けての学問的蓄積は盤石なものとなった。また研究会後に大島先生と飲む酒はいつも楽しい時間だった。
 2000年8月に、神戸で「第6回アジア性科学会」が開かれ、「アジアにおける性転換と法」というシンポジムを開催した。大島先生にもシンポジストとして講演していただいた。このシンポジウムに、当時、自民党参議院議員南野知恵子先生が出席され、関心を持たれ、自民党性同一性障害の勉強会が開かれることになった。同年の9月から、自民党で勉強会は開催された、現在もLGBTの問題に取り組んでいる馳浩議員や、当時の実力者の野中先生などが出席された。私が医学的な説明をし、大島先生が法律の話をされた。議員の質問に常に的確かつ情熱を持ってお答えする大島先生の姿は実に頼もしかった。
 2001年には、性同一性障害法研究会のメンバーで「性同一性障害と法律」を出版した。また大島先生は単著で「性同一性障害と法」を出版された。この2冊は、法務省、法制局、国会議員の先生方などに広く出回り、議論の基礎資料となった。また、大島先生の「性同一性障害と法」は、2003年に民法界の権威ある賞、「尾中賞」を受賞し、法務省隣の法曹会館で、民法界の重鎮が並ぶ中、大島先生は奥さまとともに笑顔で受賞を受けられた。
 大島先生は、虎井まさ衛さんらに働き掛け、性同一性障害者の戸籍変更を求める裁判の支援もされた。裁判で勝つことはできなかったが、ニュースでは話題になり、世論の喚起につながるとともに、判決文では、「法律制定が必要」と裁判官に言わしめ、法律制定への大きな原動力となった。
 大島先生は学会や研究会以外にも、当事者の集まりなどにもよく顔を出された。
 ある日東京で大雪が降った時のイベントで、大島先生が宮崎留美子さんと一緒に現れた時は、大いに盛り上がった。たまたま途中の道であったという話であったが。学者にありがちな机上の勉強だけでなく、当事者と直接向き合い酒を酌み交わし議論する先生だった。
 2002年には、民主党などでも性同一性障害の勉強会が開催されるようになった。私と大島先生は自民党の時と同じように、説明を続けた。また、虎井まさ衛さんや、上川あやさんも当事者の立場から勉強会で国会議員に訴えた。国会議員の中に理解が広がるたびに我々は喜びをともにした。
 虎井さんをモデルにしたといわれる金八先生の放映や、上川あやさんの世田谷区議当選という追い風もあり、2003年に「性同一性障害特例法」が制定された。要件論などでは批判も多く、大島先生は直接矢面に立つこともあったが、常に真摯に批判に耳を傾けていた姿が思い出される。
 2004年に法律は施行された。この法律で戸籍を男性に変更し、交際女性と結婚された虎井さんの披露宴には、大島先生と私も招かれた。心温まるいい披露宴だった。
 埼玉医大の原科先生の後を引き継ぎ、GID学会の理事長もされた。医者が多い学会にもかかわらず、快く理事長を引き受けられた。GID研究会からGID学会へと会は発展をとげていった。
 学会の理事長をやめられ、大学教授も退職されてからは、弁護士をされていた。第一線からは退かれていたが、性同一性障害の人権の絡む事件だと、精力的に動かれていた。
 ただ最近は学会などでお会いしても体調があまりすぐれないようで心配であった。されど、68歳と、ここまで早く亡くなるとは予想もできず、ただただ無念としかいいようがない。
 しかし、生きている間に十分すぎるお仕事はされたと思う。

 
大島先生、Good Job!の人生でした。


ありがとうございました。
お疲れされさまでした。
大島先生と飲むことはもうかないませんが、学会の後にでも、みんなと大島先生の思い出話をしながらお酒を飲みたいと思います。


御冥福をお祈ります。

性同一性障害と法 (神戸学院大学法学研究叢書)

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性同一性障害と法律―論説・資料・Q&A

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