ほんとうのじぶん ―性同一性障害の子どもたち 6 .両親

http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200607gid/06.html
6 .両親 (2006/08/06)
娘が「息子」に変わる日

 性同一性障害に苦しみ、自殺未遂をした翔(しょう)子(こ)=仮名=は、中学三年に上がるころ、ブラジャーをするのをやめた。

 修学旅行の着替えで友人たちに驚かれたが、「サイズが小さいから、合う物が見つからない」と説明した。女風呂では、のぞきをしているような罪悪感を抱き、「自分は男なんだと悟った」。

 しかし、その後も制服は女子用を着た。夏休みのある日、学校内で転倒し、スカートの中を男子に見られた。「女物を着けているのを見られたのがすごく嫌だった。同じ見られるなら男物の方がいい」

 翌日、翔子は近所のスーパーに男物の下着を買いに行った。男っぽい服を着たつもりだったが緊張した。「もっと女っぽい格好で、父の下着を買う振りをすればよかった」。散々迷った末、翔子はトランクスを一枚買った。

 問題は、家の洗濯に出せないことだった。トランクスを汚さぬよう、女物の下着を下にはいた。さらにトランクスに気付かれないため、上から半ズボンをはいた。

 スカートの下は「三枚ばき」。夏で暑かったが、翔子の心は涼やかだった。

◇   ◇

 十月。翔子は父とテレビでニューハーフの特集を見ていた。男性であると公言しつつ、女性の容姿で接客などをするニューハーフ。親に「勝手に身体いじってごめん」と頭を下げる場面で、父が「これって謝るようなことじゃないのに」とこぼした。そして、「なんでそんなに真剣に見ているんだ」と尋ねてきた。

 カミングアウトする絶好の機会だった。「実はこれと同じような違和感があって」

 父は真剣に聞いてくれた。男物の下着をはいていることも明かした。父は肯定も否定もせず、家族が不在のときに娘のトランクスを洗った。

 父には偶然告白できたが、ニューハーフを毛嫌いしていた母には、説明しづらかった。しばらくして、父に「洗濯してもらえるようお母さんに説明しろ」と仕向けられた。

 「女物の下着は使いたくないから男物を出すけど、洗濯はしてね」

 母には、違和感について言えなかった。女らしくしろと言われるのが怖かった。軽くうなずき、母は言った。

 「今はいいけど、これから先は女の格好しなきゃいけないときも来るよ。とりあえず洗ってあげるから出しなさい」。淡々とした口調だったが、良く思っていないことがひしひしと伝わってきた。

 翔子は「三枚ばき」からトランクス一枚にした。母は時間をかけて理解していった。

◇   ◇

 それから間もなく、翔子は性同一性障害と診断された。男子の制服で卒業式に出席、高校も男子として通学した。今は翔(しょう)=仮名=と改名し、大学に通っている。「あのとき両親が認めてくれてよかった」。ホルモン注射の影響で低くなった声が響いた。