レオナルド・ダ・ヴィンチは性同一性障害か2

昨日の続き。

ものの本には
ダ・ヴィンチは両性具有を理想のものと考えたので、人物を両性具有的に描いた」
みたいな説明があるようだ。
だが、少なくとも「最後の晩餐」からは、そうとは思えない。


拡大画像ぺたっ。
http://www.pcs.ne.jp/~yu/ticket/supper/supper.htmlより加工。


まず第一に、「両性具有を理想」としたなら、一番えらい、イエスこそを、両性具有的に描くはずだ。
だが、イエスは、ばりばりの男性像だ。


次に、ヨハネが両性具有ではなく、女性として描かれているというのは、イエスと比較すれば良く分かる。
この絵で、イエスヨハネは対照的に描かれている。


まず体の傾き。
一目瞭然、イエスの右腕の傾きと、ヨハネの左半身の傾きが対照である。


次に衣服。
昨日は、「ペアルック」と書いたが、厳密に言うと、ちょっと違う。
エスは赤シャツに青の上着
ヨハネは青シャツに赤の上着
見た目には左右対称となる。


さらに、両手。
エスは、大きく広げ、ヨハネは両手を合わせている。


最後は口。
エスは開き、ヨハネは閉じる。


さらに私の妄想爆発するのだが、この口、シーサーを連想させる。

http://www.mapion.co.jp/area/okinawa/spot.html
シーサーで開いた口は「阿吽」の「あ」でオス。
閉じた口は「うん」でメス。
ついでに言うと、シーサーのオスは左、メスは右に位置するので、イエスヨハネの座り位置と一致する。
シーサーは古代オリエント由来、阿吽はサンスクリット由来なので、中世ヨーロッパに、そのような習慣が伝わっていても、不思議ではないかも。


というわけで、「最後の晩餐」において、ヨハネは、両性具有的には描かれていない。
男性イエスと対照をなすことで、典型的女性として描いているのだ。


そういった意味で、ダ・ヴィンチは、男女二極分化主義者であり、「典型的な女性になりたい」という点でtranssexualismであったのかもしれない。


明日以降もしつこく続く。