小倉

意外なことに小倉は何十年かぶり。
昔は駅ビルに「行きも帰りもエルコクラ」のエルコクラがあったが、いまはいずこに・・。


地方都市に行くといつも思うが、城のすぐそばに家庭裁判所NHKがある。
小倉も城の隣に、立派なNHKが。


小倉城の「大石」のエピソードは興味深い。
>  前方にある二基の大石は江戸時代、古船場の中津口門の石垣で、細川忠興が慶長7年 (1602)に小倉城を築くとき大谷から運んできました。
 大石は上富野で動かなくなり、忠興は頭の富岡某を手打ちにしたので、石は勢いよく運ばれました。
 村人は富岡を哀れみ地蔵堂を建て供養した(現在この富岡地蔵は、安全寺に安置されています) これを聞いた小笠原四代藩主忠総は「二つに割って運べば命まで奪わずにすんだ。石の大小は勝負にかかわらぬ」と言ったという。これを「細川の大石」「小笠原の割石」 と言いました。
http://www.kcta.or.jp/kaidou/kokura/nakatuguchi/nakatuguchi.html


小笠原の殿様は名君のようにも思えるが。
手打ちにした結果、石は勢いよいよく運ばれたということは、真剣にやれば動かせたということ。
それを動かせなかった、富岡某は、部下を真剣に働かせるリーダシップが欠如していたことになる。
石の大小は勝負にかかわらぬが、統率力の欠如は勝負にかかわる。
まあ、手打ちにしたのはかわいそうだが、戦国武将と、泰平の世の殿様では、思考パターンは違うだろう。


小倉城は、石垣やお堀はいい感じで、名城をしのばせる。
高杉晋作率いる長州藩に負けたのは当然としても、城を焼いて逃げたのは、もったいない。
今もレプリカは建っているが。


チャイルドライン北九州。
http://www.voluntary.jp/weblog/myblog/252/1954880#1954880
電話相談の6-7割は、無言電話で、会話の成立した3割のうちの3割、すなわち全体の約1割が性に関する電話らしい。
いたづらエロ電話も多く、対応に苦慮してるらしい。


「想像してたより若い先生でびっくり」と言われ、本もぼちぼち売れて、QOLが今日も向上。