いねむり先生

「いねむり先生」拝読。
伊集院静が、「いねむり」先生、つまりナルコレプシーを抱える、阿佐田哲也との思い出を書いた小説。
「K」こと、黒鉄 ヒロシや、「I」こと井上陽水も登場。(ちなみに井上陽水揚水発電の両者に関係はない)。
伊集院静が妻である夏目雅子を亡くした悲しみが、先生との交わりの中で癒されていく。


死別の悲しみからの再生、というテーマは、このタイミングでは、どうしても震災を連想するが。
奇しくも、この本の書き出しは、「ソ連チェルノブイリ原子力発電所の事故があった年の冬、ボクは一人で六本木の通りを歩いていた。」とある。
この書き出しは、当時の彼の殺伐とした心象風景を表現しただけであり、今度の事故とは関係ないと思われるが、どうしてもそっちにひっぱられてしまう。


まあ、個人的にはそういうことより、阿佐田哲也が、「雀聖と書かれた色紙は偽物ですよ」といって、自らは色紙に「偽雀聖」と書いた、という話が面白かった。


本物は偽物を自称しても、やはり本物、みたいな。

いねむり先生

いねむり先生