羊の歌-わが回想-

「羊の歌」拝読。

加藤周一の自伝。
加藤周一は小4のころ「読書術」を読んで度肝を抜かれて以来(それ以降、寝転がって本を読むのは当然となったし、自分が理解できない本は著者が頭が悪いせいだと思うようになった)、尊敬していたのだが、恐れ多く過ぎて、その著書はろくに読んだことがなかったが。


「羊の歌」をふと読みだしたが、抜群に面白かった。
まあ、へぼ将棋指しが羽生名人の将棋の本当のすごさがわからないのと同様、浅学非才の私が、この本のすごさをどこまで理解できたのか自信はないけれど。


というのも、平易な文章ながら、その意味は幾層にわたり、行間も有り余る気がするからだ。
たとえばタイトルの「羊の歌」も著者自身は、
「羊の年にうまれたからであり」なんて書いているが、カトリックプラトニックラブを抱いていた著者にとっての「羊」には深い意味が隠れているように思われる。
本文中に一回だけ、「羊」が登場する。
P196
(友人の中西が、戦死した後の文章)
>私はその後、みずから退いて、羊のようにおとなしい沈黙をまもろうと考えたときに、実にしばしば中西を思い出したのである。


また著者は自らを「現代日本人の平均にちかい」と言っている。
いったい、どこが平均なんだ、と外野からはつっこみがはいりそうではあるが。
「羊」と併せ考えると、無力な傍観者として、なすすべなく戦争に進んでいった日本人としての無念さが「平均」といわせているのかもしれない。


また、「歌」も最後のほうに登場する。
P218
(8月15日に)
>もし生きるよろこびがあるとすれば、これからそれを知るだろう。私は歌いだしたかった。


というわけで、本書の主題は、著者らしく、生きるよろこび、および反戦の決意を自分史を通して伝えることだろう。


あと、幼少期の父との関係も興味深かった。
東大医学部を出ながら、医者をやめたのは、加藤周一は医者をやるには頭がよすぎたからだと思っていたが。
それだけではなく、父との関係性もあったようだ。
すなわち、加藤父も東大医学部を出ているのだが、その後開業し、あまりさえない開業医だったようであり、なおかつ子供の教育には厳格だったようでもあり、父の人生の真似を避ける、あるいは父を超えたい、などいった動機も、医者をやめた心の底辺にはあったのかもしれない。


いずれにせよ、「どうすれば加藤周一のような人間になれるのか」という動機で読みだした本だったが、「加藤周一は生まれながらに加藤周一であった」というのを思い知らされた一冊であった。

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

読書術 (岩波現代文庫)

読書術 (岩波現代文庫)