セメンヤの性別について「疑惑」と報道するマスコミは不見識である。

セメンヤの性別問題。
あいかわらずマスコミは性別「疑惑」として報道している。
「疑惑」とは不正を疑われるものに対して使われる言葉である。
セメンヤがいったいどういった不正を働いた疑いがあるというのか?


セメンヤは女性として生育され、女性としてのアイデンティティを持っている。
ただ、おそらく、なんらかの身体的理由(たとえば副腎皮質過形成など)により、平均女性よりは男性ホルモン分泌が多いのだろう。
だが、それが犯罪か。不正か。
そのような体であるかもしれないことが「疑惑」なのか。


ただ性別が典型的でないという理由だけで、人を「疑惑」の対象とするマスコミの感覚は、まるで中性の半陰陽者への魔女狩りのような、恐ろしい感覚である。