ラスト・フレンズ、タケルの悪しきカミングアウト

ラスト・フレンズの考察、あいかわらずテンメイ様のblogがすばらしい。
http://tenmei.cocolog-nifty.com/matcha/2008/05/post_e12c.html
エリの「 人間って 白か黒だけじゃないから」発言を、

>白か黒に二分されるわけではないって考え(一般的に言うなら二元論の否定)は、美知留のどっちつかずの曖昧な態度を柔らかく認めると共に、宗佑という人間の二面性(あるいは多面性)をそのまま受け止めるものでもある。そしてさらに、その先には、人間は男と女に二分されるわけではないという、瑠可にとって決定的に重要な性の認識まで見据えてる。


という指摘はまさにそのとおり。
エリのせりふは、いわばエリのトランスジェンダリズム宣言とも言えるし、
また、ここでエリは、シェアハウスという名のグループセラピー/デイケア場面のファシリテーターであるという、ドラマでの役割を明らかにしたともいえる。


その後、テンメイ氏は、タケルの病的部分を指摘している。
>公園のタンデム(二人乗り)自転車遊びのシーンなんて、私には「3人プレイ」に見えた。


には、感服した。
確かにまさにこれは、3Pである。
タケルがヘテロセクシュアル男性かつセックス恐怖症というセクシュアリティであるならば、ミチルとルカを愛し合わせ、それを横から鑑賞するというのは、それなりの適応方法として、大いに納得する。
そう考えるとタケルのソウスケへの行動も納得がいく。
つまり、普通に考えれば、ルカをめぐって、タケルとミチルは恋敵である。
そのミチルがいなくなったのは好都合なはずである。
それをわざわざ、おっかない、ソウスケと対決してまで、ミチルをルカの元に連れ戻すのはおかしな話だ。
しかし、セックス恐怖症のタケルは、1対1でルカと対峙できない。
それゆえ、ミチルを連れ戻し、ルカと3P状態になることで、平穏を保てるのである。


ところが、今回ラスト、タケルはルカに告白するという奇妙な行動に出る。
これは相当におかしい。
まず、「自分はルカの気持ちがわかる」といっているにも関らず、の点。
ここは、基本的には、もともとタケルはルカのことはわかっていなかったと、解釈すべきだろう。
すなわち、トラウマのあるタケルは、勝手に自分のトラウマをルカに重ね合わせ、勝手な共感をしたということだ。
これはよくある話だが。
さらにおかしいのは、3Pで安定するのに、告白してしまった点。
これはまったく、変な話なのだが。
でも、実は説明はつく。
その直前、姉貴から電話がかかり、パニクっているからである。
たぶん、姉貴とのなんらかの性的トラウマがあり、その傷が電話により再びえぐられてしまったのだ。
そこで大混乱に陥ったタケルは、その混乱のまま、悪しきカミングアウトをしてしまったわけだ。


まあ、悪しきカミングアウトをすれば、混乱は広がるばかりなので、番組的には面白い。