「Sexual and gender identity disorders:discussion of questions for DSM-V」

1ヶ月ぶりに「Sexual And Gender Diagnoses of the Diagnostic And Statistical Manual (DSM): A Reevaluation 」から。


Paul Jay Fink の「Sexual and gender identity disorders:discussion of questions for DSM-V」という論文。
パラフィリアおよび性同一性障害DSMから削除せよという主張への反論。


今日訳すのは、TVに関する部分の一部。
P120
(訳by AJ)
社会には、われわれがパラフィリアと呼んでいるものを正当なものとして認めよという主張もある。最も興味深く、もっとも正当化の主張が強いものはトランスベスティズムだ。世の中にはTVクラブというものもある。トランスベスタイトは、ほとんど全員が結婚している。彼らは最終的には、自分の女装傾向を妻に告白することになる。そして、トランスベスティズムの根底にある不安を治療することなく、このTVクラブに妻と一緒に二人で女性の格好をしていくことになる。そこでは50%の人はペニスがあり、50%の人はペニスがない。しかし、100%の人が女性の姿をしている。そして全員が、他のトランスベスタイトから「あの人にもペニスがあるかも」と思われる。さらに、女性の格好をしている男性の中には、女性の格好をしている女性より美しいものもいる。しかし、ポイントはそういうことではない。ポイントは、そういったTVクラブがあることにより、最終的にはトランスベスティズムを正常な性的バリエーションとして認めることになることだ。Robert Spitzerが言ったように、人間が欲求を持ち、興奮し、満足するあり方には、正常なものと異常なものの区別をする方法があるということだ。ある特定のパラフィリアの根底に、そんなやり方でしか満足できなくなってしまうような心理的問題があるかどうかを知ることもまた重要なのだ。その満足は、性的空想や、内的な衝動を満たすものだが、私から言わせれば、原始的、フロイト的に言えば、プレ・エディパルなものだ。現実は、われわれが扱っているのは、鑑別可能な違いを抱える人々の集まりなのだ。