Dr.北村の「性」の診察室ブログ 凄いぞ、新座市!

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Dr.北村の「性」の診察室ブログ
2013年4月12日

凄いぞ、新座市


 3月23日、24日に大宮ソニックシティで開催されたGID(Gender Identity Disorder:性同一性障害)学会(会長石原理埼玉医科大学産科婦人科学教授)に参加してきました。一人ひとりが多様な性を尊重し、気持ちよく生きていける社会を実現していくことが大切であることは頭では分かっていても、現実のこととなるとうまくことは運ばないようです。

 性同一性障害といえば、2001年に放映されたテレビドラマ「3年B組金八先生」で上戸彩さんがFTM(female to male:カラダの性は女性、心の性は男性)の生徒役を演じたことで話題になったことがありますが、石原会長と僕が座長を務めた「児童・思春期のGID 教育現場と医療現場の協力のために」のワークショップの中で、多様な性を教育現場全体が受容している埼玉県新座(にいざ)市の事例が参加者の目を釘付けにしました。

 2010年4月23日付け、文部科学省から各都道府県、指定都市担当課宛てに「児童生徒が抱える問題に対しての教育相談の徹底について」の通知が送られています。この文書には「性同一性障害のある児童生徒は、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であり、学校での活動を含め日常の活動に悩みを抱え、心身への負担が過大なものになることが懸念されます」と書かれています。

 この文部科学省の指摘の通りに、学会ではGIDの方々が教育の現場に留まらず、家庭や職場などでもとても「生きづらい」環境に置かれている事例が多数発表されていました。そんな中、ひときわ目を引いたのが新座市の取組でした。文部科学省からの通知が出された経緯には新座市での出来事があったのです。2008年10月に、小学1年生の男子の母親が自治体の家庭児童相談室を通じて市の教育委員会に相談に行ったところ、市教委から専門医への受診を提案され、その後、診断書を学校に提出し配慮を求めたといいます。新座市教育委員会としては、専門医に相談の上、同年9月の2学期から、「女の子」として受け容れを決定しました。

 もちろん、受け容れが簡単に進むわけもなく、学校長と市教委としては相当な努力をされただろうことは想像に難くありません。具体的には、(1)校長より全職員に対して当該児童への配慮を指示、(2)全校朝会において、校長より児童へ説明するとともに、全学級で担任より説明、(3)学校PTA会長と当該児童が在籍する学年委員の保護者に対して学校長が説明、(4)当該児童の在籍する学級では、保護者会の席上、当該児童の保護者が他の保護者に説明、などなど。

 GIDで悩む生徒を学校ぐるみで受け容れるために、このような緻密な計画を着実に実行できた新座市の学校とそれを支えた市教委の努力に心からの拍手を送りたい。演者となった新座市教育委員会の金子廣志教育長は、「男と女は、揺るぎないカテゴリーにあり、どちらかの範疇に生まれた時から入っているものという前提で学校教育は行われてきた。性同一性障害の存在を学校現場が知った時、ある学校は否定し、ある学校は見てみるふりをした。自分たちが構築してきた学校という組織を大きく揺るがすことになるからである」と、教育の場での現実を率直に語ってくれました。そんな話をうかがいながら、性教育の分野での大御所であるハワイ大学ミルトン・ダイアモンド先生の、「自然は多様性を好む。しかし、社会は多様性を嫌う」という言葉が脳裏をかすめました。

 このような新座市での取組が一朝一夕にできたわけではありません。1992年から2004年まで市議会議員を3期務められた谷合規子さんの存在が大きいとの指摘があります。谷合さんといえば、2002年12月に新座市議会が全国に先駆けて「性同一性障害を抱える人々が普通に暮らせる社会環境の整備を求める意見書」を国に提出した際にも、主導的な役割を果たしてきたことはよく知られています。政治が行政を動かした好例かも知れませんが、それ以上に市教委や学校を揺り動かしたのは、新座市民に多様な性を受け容れる土壌があったからではないでしょうか。

 当日の報告によれば、2009年9月以降、服装・トイレなどについても女の子として学校生活を送っており、特段の問題は生じていないとのことでした。