「光秀の定理」で「モンティ・ホール問題」を適用しているのは誤りではないか。

「光秀の定理」を拝読。
ただの娯楽歴史小説として読み始めたが、大変難解で、今も十分には理解できず。


こんな賭け事の話が出てくる。
1. 親が4つのおわんのどれかに石を入れる。
2. 石をどれに入れたか知らないプレーヤーは、どこかのおわんに賭ける。
3. それをみて、親は、はずれの空の二つのおわんの中身を見せる。
4. 残るおわんは2つ
5. プレイヤーは、最初の予想のままともうひとつに変更するのとどっちがよいか?


直感的には残りは2つなので、どっちに賭けても50%。
でも実は、最初のままだと25%、かえると75%。
なぜなら、もともと当たっていた確率は25%。はずれの空の2つのおわんを見せた後でもそれに、変わりはない。
親の側で考えたら、理解しやすい。
これは「モンティ・ホール問題」として知られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%95%8F%E9%A1%8C


ここまではいいのだが。
ここからはこの作品は間違っているのでは。


つまり。
1. 光秀は城攻めで4つの道のどれかを選択しないといけない。
2. そのうちのひとつの道は敵の兵がいないので、選べば正解。
3. 光秀はAという道を選ぶことに決める。
4. 調べた結果、C,Dという二つの道には敵の兵がいた。
5. 残りA,B、どちらにするべきか。
6. そのままか、変えるべきか。


ここでこの小説は、おわんの石当てと同じ原理であるとして、Aのままだと25%だとしていた。


しかし、この2つの話は、同じとはいえない。
おわんの方は、からの二つは、親が、意図的に見せたもの。
光秀のほうは、C、D、に敵の兵がいるのは、敵方大将がわざと教えてくれたのが、たまたま分かったのかが不明。
わざと教えたのであれば、おわんと同じにはなる。
でもその場合、敵方大将は、兵の配分をしたあとに、光秀がAを通ることを知らなければならない。しかし、光秀はAの選択を明かしていないので、それはできないはずである。
兵の配分の前から、光秀がAの選択をすると敵方が予想して対策を講じたのであれば、ABCDの4つは同条件とは言えず、まったく別の話となる。


よって、光秀の方は「モンティ・ホール問題」の条件は満たさず、A,Bどちらを選んでも50%ではないのか。
というわけでこの小説はちょっと無理があると思った。



光秀の定理 (単行本)

光秀の定理 (単行本)