梅ちゃん先生のドーナツ問題

梅ちゃん先生」は終わったが。
その中で、ドーナツ問題と言うのがあった。
これは梅ちゃん先生の恋人である医師の松岡の悩んでいた問題で、


>ドーナツの穴はドーナツの一部と言えるのかどうか。どう思いますか?
>だって、ドーナツは真ん中に穴があいていることによってドーナツと特定できるんですよ。
穴がなければただ小麦粉を揚げたもので、ドーナツとは言えない。だとすれば、ドーナツをドーナツたらしめている
この穴はやはりドーナツの一部と言えるのではないか。まぁ、これはちくわにも言えることで・・・
http://w.livedoor.jp/umechan/d/%A5%C9%A1%BC%A5%CA%A5%C4%A4%CE%B7%EA%A4%CF%A5%C9%A1%BC%A5%CA%A5%C4%A4%CE%B0%EC%C9%F4%A4%C8%B8%C0%A4%A8%A4%EB%A4%CE%A4%AB


まあ、多少悩むのは分かるが。そんなに悩むほどのことではない。
自分でもいってるように「ドーナツをドーナツたらしめているこの穴はやはりドーナツの一部と言える」のである。
なぜ悩んでいるかは、「穴」という「無」が存在すると言えるかどうかであろう。
無は、存在しないと言う意味だが、概念としての無は当然存在する。
ゼロと言う数字が存在するのと同じである。


この松岡は、こんな疑問も抱いていた。
>ある勉強ができない生徒が勉強ができるようになる薬を発明しようとして一生懸命勉強したら、結果として勉強ができるようになったとします。この場合の勉強というのは・・・・


せりふはここで終わるが、その続きはおそらくは「勉強は結果なのか手段なのか」と言った感じだろう。
これも悩むほどの問題ではない。
「勉強ができない」場合の勉強は「学力」や「成績」と言った意味での勉強である。
「一生懸命勉強」の勉強は「努力」と言った意味である。
すなわち同じ勉強と言う言葉にもいろいろな意味があるわけである。


こうして二つの問題を並べると、この松岡は概念の多義性が理解しづらい思考パターンであることが分かる。
すなわちこういった疑問を持つのは、「難しいことを考えている研究者の医者」だからでなく、思考に一種の障害があるからである。


この松岡は、恋愛に対しても不器用で、コミュニケーションに困難があり、感情の機微が分からない。
それも、物事を表層的、即物的、一方的にしか理解できない彼の思考パターンに由来する。
そういう面では、このドラマの脚本家は、見事に松岡のキャラ設定をし、その特徴に合致した、ドーナツ問題、勉強問題を提起したと思う。