【あなた色 わたし色】「性別」を考える

http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20111209/20111209_0001.shtml
あなた色 わたし色】「性別」を考える<1>女?男? 自分です
2011年12月09日 14:53  ■新訳男女 シリーズ第12部■
 
 後悔はない。40年間、我慢してきたのだから。先月、乳房の切除手術を受けた。「やっときれいな胸になった」。うれしかった。

 会社員の誠さん(45)は「やんちゃな女の子」だった。近所のおばちゃんたちは母親に「あの子はあんたのおなかにチンチンば忘れてきたばい」と言った。中学生になり、制服でスカートをはくのは嫌だったが「親のために」と目をつむった。心の隅には常に違和感がくすぶり続けた。

 ある出会いが人生を変える。後に結婚するフィリピン人の「彼女」は、女性への性別適合手術を終え「私は私よ」と堂々と生きていた。自分も変わりたい。

 病院で性同一性障害の診断を受け、ホルモン療法などの治療を受けた。戸籍上は女性だが、3月には戸籍の名前を「誠」に変えた。もう自分を隠すためのうそはつきたくない。自分らしく生きたい。「これからは“誠の人生”を歩みたい」

 体の性と心の性が異なる人たちを一般的に「トランスジェンダー」という。体が女性に生まれて男性へと「移行」する人はFtM、逆はMtFと呼んだりする。誠さんのように性別違和が強く、医療を受ける必要性が認められ、性同一性障害と診断される人もいる。

 ただし、みんなが体を変えたいわけではない。会社役員の恵美さん(52)=仮名=は見た目は「男性」だが、体は女性のまま。「情報がないまま男として生きてきたら通ってきた」。だが、関東から福岡に移ると、転職時に「戸籍が女性だからネクタイはしないでくれ」と命じられた。仕方なく外したものの「こんなの自分じゃない」と退職した。性別で自分を否定されるのは真っ平だ。

 50代の光代さん=仮名=は「男になりたい」のではなく「女として見られたくない」。子どもを産む前も後も、夫との性交渉にはずっと嫌悪感があった。自分は何者か、悩み続けた。

 3年前にインターネットで知ったのが「FtX」という言葉だった。100パーセント男か女か、ではない「X」という性の在り方。性愛の対象がない「無性愛」の存在も知り、もやもやがほどけていくような解放感が心に広がった。



 男物のようなジャケットとパンツ姿で街を歩く。でも髪は伸ばしている。「髪は枷(かせ)みたいなもの。切ったら一気に男性に振れて戻れない気もする」。自分らしくありたい、と思うと、そんなスタイルになるのだ。

 福岡市で芸術活動をしている米須(こめす)美紀さん(36)も誠さんと同じように5月、乳房の切除手術をした。

 20歳のころ、母親に手紙でカミングアウト(告白)する。数日後、自分の机に母親からの手紙があった。「あなたの気持ちはよく分かりました。今の時代、偏見や差別があるかもしれないけど、何があってもあなたを全力で守ります」。涙が止まらなかった。父も弟も理解してくれている。自分は恵まれている。

 先日、母と電話で話したとき「この体に産んでくれてありがとう」と伝えた。なぜこんな体なんだろう、と悩んできたけれど、この体だったからこそ今の自分があると、今なら思える。

 名前を変える人がいてもいい。自分の場合は、大好きな祖母が付けてくれた名前のままで、生きる。自分らしさはそれぞれだから。

    ◇   ◇

 男と女のみに色分けされた「二元論」から離れることで、新たな景色が見えないでしょうか。そこに立つあなたは何色ですか、そして私は…。セクシュアルマイノリティー(性的少数者)とされてきた人たちを通して、性別、性の在り方について考えてみませんか。

 ●多様な性の在り方


 誤解されていることが多いが、セクシュアルマイノリティー(性的少数者)といわれる人たちは、趣味や嗜好(しこう)でそうしているのではない。体と心の性が一致しない、好きになる人がなぜか同性ばかり…。「私は何者か」というアイデンティティー(自己同一性)の問題であり、女と男という二元論では表せない「性の在り方」をセクシュアリティーという。

 それぞれの人に、それぞれのセクシュアリティーがあり、しかも時間とともに変わり得る。それを多角的に考えるために、四つの要素で見る手法がある。(1)体の性(2)心の性(3)「男らしい」など社会的な性役割にどう対応しているか(4)性愛の対象−という観点だ。

 米須さんと光代さんに自己認識を図示してもらった。図解で分かるように、性の在り方は女性と男性にはっきり二分されるのではなく、無限のグラデーション(濃淡)の中にある。それはマイノリティーであろうがなかろうが変わらない。この手法にしても「男女二元論に基づいており、多様な性を表せていない」と懐疑的な見方がある。

    ×      ×

 ▼トランスジェンダー

 体の性と、自分で認知する心の性(性自認)が一致しない人のこと。トランスは「超える」を意味する。性別違和の程度など基準を満たすと性同一性障害GID)と診断される場合がある一方で「体は変えなくていい」など人によってさまざまだ。レズビアン(女性同性愛)、ゲイ(男性同性愛)、バイセクシュアル(両性愛)とともに、頭文字を取ってLGBTと称される。インターセックス半陰陽)やアセクシュアル(無性愛)なども、総称でセクシュアルマイノリティー(性的少数者)と呼ばれたりする。


=2011/12/09付 西日本新聞朝刊=

http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20111210/20111210_0001.shtml
あなた色 わたし色】「性別」を考える<2>「好き」って何だ?
2011年12月10日 15:12  ■新訳男女 シリーズ第12部■
 
 好きになる人を性別で見ない。女性だから、男性だから好き−なのではない。好きになったら、その人が結果的に女性だった、男性だった−ということなのだけれど。



長崎市の儀間由里香さん(22)が「バイセクシュアル(両性愛)なんです」と打ち明けると「性的に奔放だ」と勘違いされることがある。知り合いの中年男性に誘われ、性的な話題を持ち出されたり。「アイデンティティーの話をしているのに…」

 本当の自分を知ってもらいたい。生身の人間として存在を現すことが社会にとっても必要だ。そんな思いで、状況を慎重に見極めてカミングアウト(公言)するようにしている。

 だが、アダルトビデオなどメディアの影響なのか、「同性愛」という言葉やその存在を見聞きしただけで「いやらしい」と決め付ける風潮は根強い。「じゃあ異性を好きならいやらしくないのか」。圧倒的なマジョリティー(多数派)の中で、マイノリティー(少数派)の声はかき消される。

 なぜ自分は女性も男性も好きなのか。そんなはずはない、というところに落ち着きたくて悩み、手首を傷つけることもあった。

 高校生のときに交際した人は「男性的」な女性だった。隠していた手元の傷を見られたことがある。「ごめんね」。自分の口からぽろっと出た言葉に、彼女は「傷付けないといけないほどきついのに、今それを我慢してくれてありがとう」と返してくれた。この人と一緒に生きていきたい。「でも、一番大好きな人とは結婚できないんだ」。その後、別れが訪れる。

 『わたしはあかねこ』という大好きな絵本がある。両親の体の色は白と黒なのに、きょうだいで1匹だけ赤がいる猫の家族の物語。家族はみんな「あかねこ」のことが大好きだから、一生懸命に色を変えようとする。「黒い魚を食べたら黒くなるかも」といっぱい魚をあげたり。

 自分と重なる。自分はその魚を食べて生きてきた。家族や友人の善意に応えたかったから。でも、本当の自分を否定することになってしまう。それが切ない。

 「あかねこ」は家族を離れて一匹で旅立ち、新しい出会いを見つける。自分も、もっと人とつながりたい。友人たちがかつて開いていた交流会を、来年1月から再開することにした。名前は「Take it! 虹」。気軽に来てもらいたい。

 福岡県内の大学に通う友子さん(22)=仮名=は、性的欲求が湧かない。恋愛の「好き」という感じが、どうも分からない。

 男性と交際したこともあるが、長続きしなかった。体が接触する場面になると「恥ずかしい」ではなく、うそをつく感覚になる。女性が好きなのかと考え、同性愛の人たちが集う場所を訪れても、居心地が悪い。性愛の対象をもたないアセクシュアル(無性愛)という存在を知って、ようやくふに落ちた。

 「世の中は、なんて恋愛にあふれているんだろう」と窮屈さを感じることがある。ヒット曲は恋愛の歌ばかり。「人は愛なしでは生きられない」「性欲があって当たり前」という“定説”が大手を振ってまかり通っている。「付き合っている人はいない」と言うと「まだ運命の人が現れていないだけだよ」と慰められる。ある男性は、胸が小さい自分に「子どもができたら大きくなるから大丈夫だよ」。善意? 放っておいてほしい。

 例えば、こんな想像をする。この世は「帽子をかぶる国」。ところが帽子店にはカウボーイハットかニット帽しかない。店員は笑顔で「どちらがいいですか」と尋ねる。この2種類以外の帽子をかぶっている人もいるが、周りに「変な人」と後ろ指をさされている。でも自分は、その帽子すらかぶっていない−。

 「しかも帽子は見て分かるけれど、セクシュアリティーは見えにくい」。この社会で、自分たちの存在は見えているだろうか。

    ×      ×

 ▼同性愛、異性愛

 性的指向が同性に向く人を同性愛者(ホモセクシュアル)、異性に向く人を異性愛者(ヘテロセクシュアル)。同性愛者のうち、男性はゲイ、女性はレズビアンという。性的対象の性別を問わない人は両性愛、恋愛感情を抱かず性的欲求もない人は無性愛(アセクシュアル)、恋愛感情はあっても性的欲求がない人は非性愛(ノンセクシュアル)と称されたりする。


=2011/12/10付 西日本新聞朝刊=

http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20111211/20111211_0001.shtml
あなた色 わたし色】「性別」を考える<3>「家族」になりたい
2011年12月11日 11:20  ■新訳男女 シリーズ第12部■
 
 「お母さん」でも「お父さん」でもなく、子どもからは「まりこさん」と呼ばれる。真理子さん(36)=仮名=はパートナーの女性と、その女性が産んだ子どもの3人で暮らす。パートナーは「3人で家族なんだからね」と常々言ってくれる。いい家族だと思う。



知り合った時点で、既に相手には子どもがいた。女性でも男性でも、親子の関係に入り込んでいく立場には変わりない。パートナーを通しての子ども、ではなく、彼女は彼女、子どもは子どもで一対一の関係を築こうと接してきた。

 でも、ふと思う。パートナーに万が一のことがあったら…。2人と法的なつながりはない。子どもは未成年だから親戚などに引き取られるかもしれない。「血がつながっているから家族なのではない。毎日の暮らしで、体も心も支え合っていくのが家族だ」。そう確信してはいるけれど…。

 日本の法律では同性間の結婚はできない。戸籍上の夫婦なら認められる財産や生活の保障がない。片方が亡くなれば家を追い出されるかもしれないし、最期をみとる場から外されるかもしれない。同性同士の公正証書作成に関わる熊本市行政書士、城本(じょうもと)亜弥さん(37)は「法律が同性婚を前提としていない以上、養子縁組や遺言書作成、準婚姻契約など、その人に合った方法で個別に対応するしかない」と指摘する。

 このため、同性同士でも一定の権利が保障される海外のパートナーシップ法のような法整備を望む声もある。会社員の彩さん(37)=仮名=もその一人。「お互いの家族が理解していれば現制度で乗り越えられることは多いが、カミングアウト(公言)していない場合は難しい」。法整備も、そして社会的な意識も日本は遅れていると感じる。

 彩さんにはパートナーとの生活の先に「家族みたいなもの」が浮かぶ。一緒にわいわいご飯を食べたい。でも、公園で手をつなぐ親子を見ると「かなわないなあ」と感じる。女性同士だと100パーセント、子どもはできない。理想とのギャップ。目をつぶる。

 「婚姻制度のような仕組みがあれば、すぐ結婚したい」と語る翔子さん(26)は、交際中の女性が親にカミングアウトしていない。一緒に暮らしたいが今は難しい。法律は変わってほしい。半面、権利が認められていないと強調すると、自分たちの幸せな人間関係まで否定される気もする。まずは今認められる中で、最高に幸せだと感じたい。いくつもの思いに揺れる。

 同性愛の直美さん=30代、仮名=は妊娠中だ。遺伝子上の父は、友人のゲイ(男性同性愛者)。事実婚ということで不妊治療を受けられた。

 子どもが欲しかった。かつては別のゲイと戸籍上の結婚をする「友情結婚」をしていた。世間体や結婚についての干渉を避けるためもあった。その人は子どもができにくいことが分かり結局、離婚した。

 身勝手と思われるかもしれない。でも「誰かのためなら頑張って生きられる」。でもそれは、パートナーのためではない気もする。世間には「子どもができた」と言われて逃げる男性、その彼の子を育てる未婚の母もいる。自分と何が違うのか。家族って何なのか。

 わが子が成長し「父親に会いたい」と望んだら、会わせるつもりだ。さまざまなマイノリティーの人たちに会わせ、偏見のない人に育てたい。

    ×      ×

 ▼海外の「同性婚

 欧米を中心に同性婚法やパートナーシップ法など、異性間結婚と同様か、それに準ずる権利を同性間にも認める法律が2000年代に入って増えている。パートナーシップ法では、同性間だけでなく異性間にも認める国があり、例えばフランスでは連帯市民協定(パクス)を利用する異性カップルが増え、結婚観、家族観そのものにも影響を与えている。


=2011/12/11付 西日本新聞朝刊=

http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20111214/20111214_0001.shtml
あなた色 わたし色】「性別」を考える<4>「二元論」を超えて
2011年12月14日 12:12  ■新訳男女 シリーズ第12部■
 
 「あなた自身についておたずねします」との問いに、回答欄は「女性、男性、その他」−。



佐賀県鳥栖市で毎年開かれている啓発イベント「男女共同参画フォーラム」では2005年ごろから、参加者向けアンケートで性別欄に「その他」を設けている。

 市担当者によると「女性と男性に丸を付けづらい人もいるのでは」と実行委員会が試みた。意識の男女差を把握するために性別は知りたい。「その他」には、排除するのでなく最終的には性別を超えて「その人」を見てほしい、との願いを込めているのだという。福岡県久留米市なども同様の取り組みをしている。

 「その他」について、セクシュアルマイノリティー(性的少数者)の当事者たちに聞くと「“別枠”にされているような気もするけれど…」「言葉は難しいので○□△と記号にするとか? でも分かりにくいですね」。妙案はないものか。

 フリーライターで同性のパートナーがいる五十嵐ゆりさん(38)=熊本市=にも尋ねると「男女二元論で区別できない人がいる、という捉え方はとてもありがたい」。例えば設問を見た人が「女、男、だけじゃない?」と数秒でも立ち止まって考えることもあり得る。「そのことに意味がある」と一歩前進を歓迎する。

 日本では2004年、性同一性障害者の性別変更を可能にする特例法が施行された。以後、各自治体で申請書類の性別記載欄を廃止するなどの動きが出ている。

 メディアの世界でも、はるな愛さんやマツコ・デラックスさんら性的少数者のタレントが多く活躍するようになった。ある性同一性障害の「男性」に感想を求めると「この人たちが出てきたことは大きなプラス」。自分の状況を知人に説明すると「はるな愛ちゃんの逆やね」というふうに理解されやすくなったという。

 半面、メディアはより際だった個性を求める。セクシュアリティー(性の在り方)が誇張され、バラエティー番組などで「おかま」「ホモ」と笑い飛ばされる場面も目立つ。「おねえキャラ」などと一くくりにされる傾向もある。

 福岡市で性的少数者の交流会を開く「にじだまり」の運営スタッフ、石崎杏理さん(27)は知人から、知り合いがゲイ(男性同性愛者)だということで職場で笑いものにされていると聞いて、怒りが込み上げてきた。

 「仕事として笑いの対価を受け取っている人とは違う。彼は職場の楽しいひとときのために、みんなから傷付けられている」。テレビと現実がごちゃ混ぜになっていないか。「笑われていい人なんていないのに」

 ところで、こうしたタレントたちが軒並み「男性に生まれた人」であるのは、なぜなのか。

 レズビアン(女性同性愛者)の真矢さん(25)=仮名=は「女性だとキャラ立ちしない(キャラクターが立たない)んでしょうね。笑えない、というか」。バイセクシュアル(両性愛者)の女性(28)は「日本では自分を卑下する笑いは認められるけれど、逆は笑えない。男性の権利を放棄して女性に“下がる”のは受け入れられる。そう考えると、男性上位の社会ということなのかなあ」。

 収入や社会的地位で男女差は厳然としてあり「女性同士」の生活は不安定になりがちだ。2人は「性的少数者の問題は結局、女性問題に行き着く」と口をそろえる。

 真矢さんには気になることがある。街を歩いていて「あら、どっち?」と無用に投げられる視線。女か、男か、どちらかの視点に立って物事を考える男女二元論の刷り込みは、恐ろしく根強い。「どっち?」の目は、そこからはみ出る者への視線と重なる。「『その人』を見つめる社会にになってほしい」と心から願う。

    ×      ×

 ▼性的少数者への理解

 日本では、昨年12月に閣議決定された第3次男女共同参画基本計画で、性的少数者が安心して暮らせる環境整備の必要性が初めて明記された。国外では、アイスランドやベルギーで同性愛の首相が誕生。9月にはオーストラリア政府が、パスポートに「X」という性別を加えると公表した。世界的に人気の歌手レディー・ガガさんがLGBT(同性愛、両性愛トランスジェンダーの頭文字)への支援活動を積極的に行うなど、理解を求める動きが広がっている。


=2011/12/14付 西日本新聞朝刊=
http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20111215/20111215_0001.shtml
あなた色 わたし色】「性別」を考える<5完>虹の色に境界なし
2011年12月16日 12:57  ■新訳男女 シリーズ第12部■
 
 好物のお菓子は「チョコあ―んぱん」、好きなタイプは蓮舫さん、早稲田大学4年で「Re:Bit(リビット)」の代表…。



 やっくんこと薬師実芳(みか)さん(22)は、高校や大学で教壇に立つと「私はトランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)です」ではなく、そんなふうに自己紹介を始める。「Re:Bit」はセクシュアルマイノリティー(性的少数者)の問題を切り口に、違いを受け入れ合える社会を目指す学生団体。学校での授業は、その活動の一環だ。

 LGBT(同性愛、両性愛トランスジェンダー)であってもなくても、セクシュアリティー(性の在り方)はその人の一部であり全てではない。「トランスジェンダーの薬師」ではなく「チョコあ―んぱんが好きなやっくんはトランスジェンダーでもある」−そう捉えてもらえないか。

 授業では少人数に分けた生徒の班に、性的少数者のメンバーが「見える存在」として入り語り合う。テレビの向こうの話ではない。「この現状を作り出したという意味では誰もが当事者です」。そう訴えかける。

 今、準備に奔走するのが「もう一つの成人式」だ。成人の日の6日後。来年1月15日、東京の300人規模のホールで「LGBT成人式」を開く。セクシュアリティーや年齢は問わない。好きな服を着て、写真を残し、将来に向けて一歩踏み出す。「誰もがありのままの自分を肯定的に受け止め、祝える場にしたい」

 そう語る薬師さんも小学校高学年のころから、女性として生まれた体に違和を感じていた。友人が多くても「みんなが好きなのは本当の僕じゃない」と自尊心が傷ついた。「LGBTの人たちは、自分自身を誇るきっかけをつかむのが難しい」。だから成人式をその契機にしてほしいのだ。

 メンバーの一人で新成人の達也さん(19)は中学時代から、どう生きたらいいか悩んできた。光が見えたのは同じゲイ(男性同性愛者)の人が書いたエッセー本。初めて自分を肯定できた。いつだって、誰だって、何かのきっかけで変わることができる。繰り返し(Re)、少しずつ(Bit)でも前へ。ありのままの自分であるために。

 「自分らしく生きたい」という言葉を、今回の連載取材で最も多く耳にした。同じレズビアン(女性同性愛者)でも考え方やセクシュアリティーは異なる。そんな当たり前のことに目をそむけ、ひとまとめにし、個々の存在を見えないことにする。多様な色を、女と男の2色に塗りつぶして。

 連載タイトルの背景にある虹は、ぼやけている。日本では7色とされるが、国や文化によって異なる。日によって3色に見えたりもする。そもそもグラデーション(濃淡)であって、私たちが7色という境界線を引いているにすぎない。

 境界という偏見を取っ払い、誰もが濃淡に溶け込んでいると考えていきたい。繰り返し、少しずつでも。本当の虹色が見えてくるかもしれない。

   ◇    ◇

 LGBT成人式に関連して福岡市でも、LGBTの交流組織「にじだまり」(http://x14.peps.jp/nijidamari/)が1月8日、発足2周年記念と合わせて交流会を開く。 =おわり

    ×      ×

 ▼象徴の虹色

 セクシュアルマイノリティー(性的少数者)の人たちが、自らの尊厳や社会活動の象徴として虹色の旗を使用している。1970年代、米国でゲイの人たちがパレードをする際に考案された。6色のデザインが多い。現在は虹色のステッカーやバッジを身に着け、自己のセクシュアリティーを表明したり、LGBTでない人たちも連帯の証しとして使用したりしている。


=2011/12/15付 西日本新聞朝刊=